遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

くらす

植治の庭

「植治」とは宝暦年間から続く京都の作庭家の屋号。代々の当主は小川治兵衛を名乗り、現在のご当主は十一代目にあたる。代々のなかでも、七代目小川治兵衛は山縣有朋の薫陶を受け、無鄰庵を皮切りに自然をできるだけありのままにとどめた庭作りを精力的に行った… そっけない説明ではこんなところでしょう。

東山を借景にした無鄰庵の庭園。

恥ずかしながら、植治という名前は、つい最近まで知りませんでした。初めて接したのが京都のガイドムック。特集テーマのひとつに「植治の庭を巡る」が取り上げられていたのです。本によれば、自らも玄人はだしの作庭趣味を持つ明治の元勲が自分の思いをこめた別邸の作庭を七代目に頼み、両者のコラボレーションによって作られたとありました。これが今に残る国の名勝無鄰庵です。

無鄰庵の作庭にあたって発注者の山縣有朋は次の3つの注文を植治に与えたと言われています。すなわち、

①芝生の明るい空間をつくる

②樅・檜・杉などそれまで脇役だった樹木を使う

③疎水の水を引き入れる

この3つの注文に植治はよく応え、とくに③では、水を迎える喜びを様々な手法で表現していると言われています。

この経験をエポックに、七代目は独自の境地を深め、以降、東山蹴上界隈のお邸の庭を次々に手がけ、名作を残してゆきます。その集大成がかの平安神宮の神苑であることも初めて知りました。

無鄰庵の入口。路地のような狭い道にさりげなく開いている。

にわかに興味を覚え、彼の才能が大きく開花するきっかけとなった無鄰庵を訪ねてみました。想像以上に素晴らしいものでした。疎水から導かれた浅い流れが、庭内のゆるやかな起伏を巡り、寝姿の東山が借景になっています。高価な松や庭石を多用せず、自然に近い空間構成に清々しさを覚えました。

水の流れがまるで、自然界のよう。無鄰庵を走る疎水の小流れ。

と同時に「いつか見た風景だな」とも思いました。亜高山帯の景物に酷似していたのです。具体的に言えば、北八ヶ岳の横岳に近い通称「坪庭」の景観。北アルプスの「雲の平」の景観といえば、山好きの人には、その感じをわかっていただけるでしょうか。亜高山帯から望む高峰の標高差がちょうど、東山三十六峰の高さに相当することも理由の一つでしょう。

「水を迎える喜び」が随所に感じられる。

芝生が明るい。亜高山帯の景観にも似ている。

折からの季節、花馬酔木が芳香を放っていた。

これまでも多くの名庭名園を見てきましたが、作庭家の視点で見たのは初めての経験でした。植治の眼で、自分が作庭家になったつもりで見ると、細部まで神経の行き届いた鑑賞ができたように思います。漫然と眺めるのではなく、「植治」というフィルターを通して鑑賞できたことで、見方も少し深まったのでないかと思います。

商品にはすべて、開発者の思想、理念、ビジョンがあります。それは、大抵の場合、高邁な精神と筆舌に尽くしがたい苦労が共存しています。但し、黙っているだけでは、ユーザーにはそれがわかりません。しかし、ひとたびその事実を知ると、商品は俄然輝きを増すのです。「物語を語れ」と叫ばれることも多くなってきました。「植治」という物語が新しい視点を与えたように、多くの商品で物語が紡ぎだせるはずです。

中田無麓
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