2012年08月01日
夏の文楽公演は三部制(他の季節は二部制)。時間が少しコンパクトになって「長い時間はちょっと・・・」という人にも見やすいし、演目のバリエーションも選べる。私は第三部、近松の傑作『曽根崎心中』がお目当てだ。
6時半開演で8時10分に終わる。「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と謡われた美しい恋物語に、ひととき、夏の夜の蒸し暑さを忘れるのはいかがだろう。
◆近松の一大ヒット、文楽に新ジャンルを拓く!
『曽根崎心中』は、女郎お初と醤油屋の手代徳兵衛の実際の心中事件をモデルに、近松門左衛門が書き上げた浄瑠璃。なんと事件の一か月後に上演された。非常にタイムリーなワイドショーだ。それまでの文楽は『時代物』と呼ばれる歴史上の話が主なテーマ。『曽根崎心中』は身近な市井の話で、当時の人にはつい最近の事件。ニュース性も手伝って、劇場は大入り満員。竹本座の19年間の負債を一気に返したほどの大当たりをとったという。今では文楽の代表的なジャンルのひとつとなった『世話物』の誕生だ。
あまりの人気ぶりが心中ブームを呼び、芝居の中だけでなく、実際の心中事件も増えて、『曽根崎心中』は幕府より上演禁止を命じられる。
復活再演は歌舞伎がいち早く、昭和二十八年(現・坂田藤十郎がお初を演じた)。文楽では昭和三十年に上演(故・吉田玉男が徳兵衛を演じた)。以後、歌舞伎、文楽ともに、上演回数の多い人気狂言となっている。
文楽劇場一階の展示室では『曽根崎心中』公演を記念して、初演当時の様子がわかる資料を公開。何種類もの刷本は、この話の人気ぶりをうかがわせる。徳兵衛の丁稚、長蔵の夢で始まる後日談なども出版されたようだ。
曽根崎心中
http://bit.ly/cmj9ea
竹本座
http://bit.ly/OB8ztN
坂田藤十郎
http://bit.ly/M3agmc
吉田玉男
http://bit.ly/MygCqE
◆男を打掛に忍ばせて・・・足先で伝える真(まこと)
『曽根崎心中』の名場面のひとつ、お初と徳兵衛が、互いの心中の決意を交わし合うシーンがユニークだ。『天満屋の段』。お初のいる天満屋に忍んできた徳兵衛。お初の打掛に隠れて縁の下へ。そこへ徳兵衛を騙して窮地に追いやった九平次が客として上り込み、お初に向かって徳兵衛を罵倒する。
縁の下で怒りに震える徳兵衛を、お初は足の先で制し、九平次に向かって、「徳兵衛のためなら自分は命を捨てる覚悟」と言い放つ。
その言葉に徳兵衛は、お初の足を喉笛にあて、自分も死ぬ覚悟だと伝えるのだ。通常、文楽の女方には足がない。が、このシーンばかりは、お初の着物の裾から真っ白な足が覗き、徳兵衛はいとしげにその足を喉へあてる。
哀しくもエロティック、とても印象的な演出だ。
打掛に男を忍ばせ、男の敵に対峙する女。お初の姿は母性そのもの。友人に裏切られ、世間に顔向けできない身になっても、決して見捨てようとしない女がいる。近松の男たちは、優しく、義理人情を大事にするがゆえの弱さがある。そして、その弱さを愛しく思うのが近松の女たちだ。
弱さゆえに愛おしい近松の男。その代表が、『曽根崎心中』の徳兵衛だろう。
◆魂のないはずの木偶から、魂が抜ける瞬間
『曽根崎心中』のヒットは、身近な事件を取り上げ、立場的には弱いけれど強い心で結ばれた男女を主役に、誰もが共感できる物語に昇華させたことにある。さらに、口承性に富むその美しい文章も、広く伝搬した要因だろう。
最後の段、【天神の森】では、荻生徂徠(おぎゅうそらい)も激賞したという道行の名文が味わえる。
「この世の名残、夜も名残。死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えていく、夢の夢こそあはれなれ」
七語調の名調子とともに、手に手を取って死にに行く二人。
帯で互いの体を結び合い、徳兵衛はお初を刃で突き、自らも喉を切り、お初を抱くようにゆっくりゆっくり倒れこんでいく。ここに拍子木が重なって、果てた二人の姿を中央に,幕となる。
【天神の森】の人形遣いは、吉田簑助(お初)と桐竹勘十郎(徳兵衛)だ。
二人の遣う人形から、魂がだんだんに抜け、昇天の瞬間がわかるようなこの最後、ぞくっとするほど美しく、凄味がある。
「長き夢路を曽根崎の、森の、雫と散りにけり」
ぜひ、一度は、見て、聴いて、味わっていただきたい名作だ。
儒学者:荻生徂徠
http://bit.ly/hYBMsY
人形遣い:吉田簑助
http://bit.ly/lqGF6C
人形遣い:桐竹勘十郎
http://bit.ly/QdvPkF
http://3bayashi.com/kan/puro/top.htm
夏休み講演は8月7日まで。なお、今回、第二部だけ幕見(一演目だけ見る)もできる。
国立文楽劇場
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html
◆人形遣い桐竹勘十郎さん作の寸劇
さて、夏休み特別公演第一部は親子劇場。11時から始まり途中30分の昼休憩をはさんで1時10分に終わるので、親子連れにもほどのよい長さだ。
最初の演目は「鈴の音」。なんと、人形遣いの桐竹勘十郎さん作・演出。お嬢さんの通う幼稚園での公演を頼まれ、園児にもわかる文楽を、と書き下ろした作品。河童とキツネと狩人が登場する、楽しいお話だ。
ファンタジックな「鈴の音」の後、舞台では文楽についての説明。人形を遣う体験コーナーでは、「我こそは」という子どもたちの手があちこちから勢いよく上がり、会場が大いに盛り上がった。
桐竹勘十郎アーティストインタビュー
http://performingarts.jp/J/art_interview/0806/1.html
◆「ワイルドだろう~」な孫悟空!?
昼休憩の後は、ご存じ、孫悟空が大活躍の「西遊記」。煙と共に魔王や孫悟空が登場。舞台づくりや光の演出、音響効果も普段の文楽と違い、より子どもたちになじみやすいよう現代風に工夫されているようだ。
孫悟空が呪文の中で『キャリ~パミュパミュつ~けまつげつけまつげ』とつぶやいたり、「ワイルドだろう」とうそぶく箇所では、笑いが起こっていた。
一番子どもたちが興奮したのは、最後に孫悟空が宙吊りで消えていくシーン。歓声とともに天井を見上げた子どもたちは、孫悟空が消えるまで手を振っていた。私の後ろの席のおばあさんグループもやんやの拍手。宙吊りは大人にも子どもにも大好評だ。
私は、人形遣いの豊松清十郎さんが孫悟空を持ったまま吊り上げられるスタート地点を目の前にしていたので、清十郎氏の汗びっしょりの真剣な表情が見えて、「やっぱりあの動きは大変だなあ」と別の意味でも感動していた。
豊松清十郎さんブログ
http://seijuro5th.blog113.fc2.com/
親子劇場を見終えた子どもたちは、出口で孫悟空の絵のついたノートをもらい、帰って行った。今日の楽しさが、一人でも多くの文楽ファンを育てるように・・・。
そう思いながら見送ったのだった。