遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

あそぶ

第一回 大文字山に登る(その一)

東山三十六峰とは
京都は北東西の三方を山で囲まれている。それぞれの山の連なりは「北山」「西山」「東山」である。中でも、東の山々を

総称して、「東山三十六峰」(ひがしやまさんじゅうろっぽう)とも呼ばれる。

東山三十六峰概略地図

我が家の居間は東向きであるから、毎日、「東山」の峰々を眺めて暮らすことになる。しかも梢のゆらぎも見て取れる近さである。正面は三十六峰のちょうど真ん中あたりの第十七峰「南禅寺山」から第十八峰「大日山」辺り。南側の外階段からは第二十峰「粟田山」をもっと間近に望むことができる。

「ふとん着て寝たる姿や東山」

東山の優美な連なりを表現してあまりにも有名な嵐雪の一句。春の夕暮れ、月が山上に登る頃、東山の稜線が浮かび上がると、「名句なり」の思いを新たにする。

春は山の裾から山中までをさまざま桜が絢を競い、夏は緑にこれほどの彩があるのかと驚く。秋はまさに錦織りの如く紅葉のグラデーション、冬は一転、雪が覆えば墨絵の寂びた世界となる。さらに毎日、朝、夕、月夜…眺めていると四季という大きなくくりではなく、三百六十五日、日々刻々、その姿を変えて倦ることはない。
雪の東山(南禅寺山あたり)

さて、その「東山三十六峰」、北は比叡山はじまり、稲荷山を南の端とする連なりである。
しかし、単純な一列縦陣ではない。地形的には大きく二つの連なりと捉える事ができる。比叡山から瓜生山、大文字山そして大日山まで。
もう一つは、そこから蹴上を挟んで粟田山から華頂山、阿弥陀ヶ峰から稲荷山までの連なり。後は飛び石的に吉田山や紫雲山などがある。
峰々は独立しているわけではなく、複雑に入り組んで分かちがたいところもあるが故に「三十六峰」とはいえ、正確にこの山々という定義はない。これまでも「三十六峰」がいちいちどの山を指しているのかまでは特定されてこなかった。

また「三十六峰」のいわれも「単に六六=三十六=たくさん、ということで呼ばれたもの」から「なだらかに連なる山々を洛中から見て、おおよそ三十六ほどは連なっていようかと例えられたもの」「東山の景色を愛した頼山陽が中国の嵩山(すうざん)の三十六峰になぞらえたもの」…まで、さまざまな説がある。

ただ、これまでの研究によると、江戸時代には「三十六峰」の呼び方が知られていたらしい。江戸時代末期の「花洛名勝圖會」では、「東山三十六峰」の言葉を見ることができ、これが「東山三十六峰」という言葉を記した、現存する史料としては最古のものとされている。

下っては「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時、たちまちおこる剣戟の響き…」 維新の動乱を描いた多くの映画の活弁の名文句として人口に膾炙することになる。

三十六の峰々は?

ここでは昭和三十一年、京都新聞において、「三十六峰」を具体的に特定した記事が連載され、その山々を「三十六峰」とさせていただくこととする。具体的には北から(前後する場合もあるが)

順番 山名 よみ 関連神社仏閣
一 比叡山 ひえいざん 延暦寺
二 御生山 みあれやま 御蔭神社
三 赤山 せきざん 赤山禅院
四 修学院山 しゅうがくいんやま 修学院
五 葉山 はやま 葉山観音
六 一乗寺山 いちじょうじやま 旧・一乗寺
七 茶山 ちゃやま ・・・
八 北白川山 きたしらかわやま 勝軍地蔵
九 瓜生山 うりゆうさん ・・・
十 月待山 つきまちやま 銀閣寺
十一 大文字山 だいもんじやま  往生院
十二 吉田山 よしだやま 吉田神社
十三 紫雲山 しうんざん 金戒光明寺
十四 善気山 ぜんきざん 法然院
十五 椿ヶ峰 つばきがみね 大豊神社
十六 若王子山 にゃくおうじやま 若王子神社
十七 南禅寺山 なんぜんじやま 南禅寺
十八 大日山 だいにちやま 旧・観勝寺
十九 神明山 しんめいやま 日向大神宮
二十 粟田山 あわたやま 粟田神社
二十一 華頂山 かちょうざん 知恩院
二十二 円山 まるやま ・・・
二十三 長楽寺山 ちょうらくじやま 長楽寺
二十四 双林寺山 そうりんじやま 双林寺
二十五 東大谷山 ひがしおおたにやま 大谷祖廟
二十六 高台寺山 こうだいじやま 高台寺
二十七 霊山 りょうぜん 正法寺
二十八 鳥辺山 とりべやま ・・・
二十九 清水山 きよみずやま 清水寺
三十 清閑寺山 せいかんじやま 清閑寺
三十一 阿弥陀ヶ峰 あみだがみね 豊国神社
三十二 今熊野山 いまくまのやま 新熊野神社
三十三 泉山 せんざん 泉涌寺
三十四 恵日山 えにちやま 東福寺
三十五 光明峰 こうみょうほう 旧・光明峰寺
三十六 稲荷山 いなりやま 伏見稲荷大社

その多くは「山」という名がついてはいるが、最も高い比叡山が八百四十八メートル。ほかは三~四百メートルくらい。

「円山」にいたっては九十八メートルしかない。
しかし、その「円山」は円山公園の枝垂れ桜、祇園社など天下に知られた名勝ぞろい。一つ一つの峰々が興味深い歴史や文化と密接に結びついている点も、東山が単なる山々の連なりとは一線も二線も劃する所以であろう。

東山を背景にした知恩院三門

毎日、その変化を眺めていて、「この峰々を歩いてみよう」という気持ちがふと起こってきた。図書館やネットでルートを調べてみると、脚力に自信のない私でも十分踏破できそうだ。
さらにその魅力を堪能するために峰々にまつわる歴史やエピソードも調べつつ、「脚」だけではなく「頭」の衰えを防ぐことも目的にすることにした。

では、どの山から登るか?
いちばん北の比叡山から南の稲荷山まで順にたどって行くのが一般的。
もしくはその逆ノコース。しかし、住んでいるのが東山のすぐ麓、どこからでも登れるという恵まれた地の利を活かして、思いつくまま、気の向くまま、また、話題があればその方面と、コースを定めず登ることにしよう。
(ここまで第1回 第一部)

村井一角
ホームへ戻る