遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
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あそぶ

大阪市営渡船を乗り継ぐ(下)

先に「大阪市営渡船を乗り継ぐ(上)」を読む
~奥の細道的スケッチとして~

渡船めぐりの後半は、船町渡船からスタート。9月24日、大阪市バス鶴町1丁目バス停を少し遅めの「旅」のスタートとした。

15:05 大阪市バス 鶴町1丁目バス停発

船町渡船場までは、徒歩で5分程度。20分発まで少し間がある。木津川運河をはさんで鶴町側は、住宅地も多いが、対岸の船町は、専らの工場地帯。造船、製鋼などの昔の高度成長を支えた大工場が塀を連ねる。休日はほとんど無人地帯と言ってよい。
対照的な両岸を渡る船町渡船は8つある大阪の渡しの中で、最も岸壁間が短い。乗客は専ら船町の工場の従業員。休日とあって乗客は男子中学生2名と壮年の男性が1名。みなさん、やはり自転車がお約束。

15:20 船町渡船場(鶴町側)発
15:21 船町渡船場(船町側)着

なにしろ、桟橋間の距離が75mほどしかない。車で言えば、切り返しの感覚で、あっという間に対岸に着く。

船町渡船場
●大正区鶴町1丁目~船町1丁目間
●岸壁間の距離75m
●1日の平均利用者数210人(平成20年度現在)
(大阪市ホームページより)

同じく大阪市のホームページによれば、「昭和20年代後半から30年代にかけて、川幅が狭いことを利用して対岸まで船を連ね、その上に板を敷いて人や自転車が通行していた。」らしい。何やら、源平の戦いのようで、笑えてしまう。
運航は「ふなづる」。乗員2名、旅客定員46名。

水の秋浮き桟橋に軋む音  無麓



上陸した船町は、典型的な「工場萌え」の世界。鋼管や塩ビパイプが空中を走りまわる。文字通り、産業や経済の血管であり、神経系であったところだ。それらが錆びついているのを見れば、走り続けてきて老境に達してきた国のあり様を見る気がして少し切ない。


巨大な工場群の塀に沿って、真っ直ぐ歩き、一度垂直にまがって、徒歩18分。6番目の渡船、木津川渡船場に到着する。

15:39 木津川渡船場(大正区側)着

木津川を渡るこの航路だけは、他の7か所が市の建設局の管轄であるのに対し、唯一港湾局の管轄になる。もともとは平林(住之江区)の木材関連施設運搬に用いられたカーフェリーだったらしい。昭和48年、千本松大橋の竣工以降は、人と自転車専用の渡船として現在に至っている。
河口に近い豊かな川幅を睥睨するように、今では航路の上に、目に鮮やかなブルーの弧が美しい新木津川大橋がかかっている。その高さはなんと水面から50メートルに及ぶ。


15:39 木津川渡船場(大正区側)発

運航は「松丸」。乗客は大人9名、子供4名、自転車9台。対岸まで約2分の船旅。船町渡船乗船直後のためか、2分が長く感じられる。広い川幅の両側には、ドックが櫛比し、川の中筋を貨物船が通り過ぎる。小さな渡し船はその余波をモロに受ける。木津川と直交して南にまだ運河が続く。大阪は今でも水の都だ。
松丸のなかには乗客用の座席があった。8か所で唯一の座席。

木津川渡船場
●大正区船町1丁目~住之江区平林北1丁目間
●岸壁間の距離238m
●1日の平均利用者数180人(平成20年度現在)
(大阪市ホームページより)


船渠にも色なき風の通ふらむ  無麓

住之江区側の公共交通は非常に不便なため、節を破り、船町側へ渡り返すことにする。

15:55 木津川渡船場大正区側着
16:00 中船町バス停着
16:05 中船町バス停発 市バス乗車
16:08 大運橋通バス停着

大正区もはずれに近い大運橋商店街を抜けて、7つ目の渡し、千本松渡船場を目指す。
大運橋商店街は昭和の匂いを色濃く残す一画。昔ながらの駄菓子屋もある。路上で詰将棋に興じるオジサンの姿も絵になる。
商店街が果てて、海の香りが兆せば渡船場は近い。大運橋通のバス停から徒歩12分の行程だ。


千本松渡船は、美しいループを描く千本松大橋の橋脚間を渡している。この橋は昭和48年に竣工、37年を経過して今に至る。一世代以上のこの月日を、橋は通商と産業を支え、船は通勤や通学の足として生活を支えてきた。見事に共存共栄してきたわけである。
休日にもかかわらず乗客は多く、銀輪をきらめかせて老若男女が船から降りてきた。

千本松渡船場
●大正区南恩加島1丁目~西成区南津守2丁目間
●岸壁間の距離230m
●1日の平均利用者数1,190人(平成20年度現在)
(大阪市ホームページより)

運航ははるかぜ。乗客数は数えられない。
千本松の名のとおり、昔は三保や橋立と並ぶ松の名所だったとか。
その名残は唯一、岸壁に描かれた浪速名所図会によって偲ぶことができる。北前船など諸国の船の出入りで賑ったのも今は昔。

色変へぬ松や昔の渡し船
北前の白帆まぼろに水の秋  無麓

残る一つは天保山渡船。秋のつるべ落としに負けないように先を急ぐことにする。

16:30 千本松渡船場大正区側発
16:32 千本松渡船場西成区側着
16:40 南津守2丁目バス停着
16:49 南津守2丁目バス停発 市バス乗車
17:15 大正橋バス停着 市バス乗り換え
17:18 大正橋バス停発 市バス乗車
17:40 天保山バス停着
11:45 天保山渡船場着

天保山渡船は岸壁間400mを有する、最長の航路を持つ。マーケットプレイスや海遊館を擁する天保山とUSJを結ぶ黄金航路ながら、一日の乗客数は甚兵衛渡船に遠く及ばない。しかしながら旅慣れた外国人が自転車で乗り込んで来るなど、他の渡しに比べて「国際化」の波にわずかだが洗われている。

天保山渡船場
●港区築港3丁目~此花区桜島3丁目間
●岸壁間の距離400m
●1日の平均利用者数900人(平成20年度現在)
(大阪市ホームページより)

運航は「桜丸」。旅客定員80名と大型だ。
秋の日の暮の早さは容赦ない。一帯はすでに残照の赤みを帯びてきた。この辺りは川というよりむしろ海。今も百船が時を惜しむかのように駆け抜けてゆく。
17:50、日没。ランドマークの大観覧車にも灯が入った。臨港のクレーン群も咆哮を止め、眠りにつこうとしている。




浪速津に百船いまも秋没日
秋の波何を伝へに寄せ来しや  無麓

18:00 天保山渡船場(港区側)発
18:03 天保山渡船場(此花区側)着
18:10 天保山渡船場(此花区側)発
18:20 JR桜島駅着

「旅」の終りのJR桜島駅には、夜の帳が下りていた。大阪もなかなか、捨てたものではない。

今回かかった費用(JR大阪駅 起点・終点)
大阪⇔鶴町1丁目      大阪市バス  200円
中船町⇔大運橋通      大阪市バス  200円
南津守2丁目⇔大正橋     大阪市バス  200円
大正橋⇔天保山       大阪市バス  200円
桜島⇔大阪         JR     170円
計970円
(大阪市営渡船を乗り継ぐ 了)

中田無麓
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