2012年11月26日
京都の師走の風物詩の一つになっているのが、京都四條南座の「吉例顔見世興行」。
江戸時代、京都には京都所司代より許された(官許)の座が七つありました。そのうち唯一、現在まで伝わるのが南座。その南座に当代一流の役者らが一堂に会する興行が「吉例顔見世興行」です。
その南座の正面に掲げられる、役者の名前が書かれた「まねき」が、年の瀬の京都の雰囲気を一層盛りあげます。
今年は今日、十一月二十六日にその「まねき」が上げられました。いわゆる「まねきあげ」。その披露には今回、六代目を襲名披露する中村勘九郎も挨拶に立ちました。
私は歌舞伎ファンではありませんが、毎年、この時期に四条通を通る時に南座に「まねき」が上がっていると今年も後少し、という実感が湧いてきます。また、時々行く、縄手通りの角にある飲み屋の窓から煌々と照らされた「まねき」を見るのも、独特の感慨があって好きです。
先ほど、この「まねき」が書かれている場所を拝見する機会がありました。今、まねきは、東山二条にある、日蓮宗の大本山、「西身延」と呼ばれる、「妙傳寺」で書かれています。四年前までは看板会社の工房で書かれていたようですが、縁あって妙傳寺で書かれる事になったそうです。
縁の一つが妙傳寺は歌舞伎の名門、片岡家の菩提寺であること。総門を入って右に行くと、お墓ではありませんが、「七つ割丸に二つ引」の定紋を据えた片岡碑があります。右の石柱には「片岡」、左には「我童」の文字が。建立は明治の團菊なきあと、一代の名優といわれた十一代目片岡仁左衛門。
その碑の先、ご本堂の南側を進むと寺務所があり、そこから書院の方に。寺務所の入り口には、まねきにご縁の寺にふさわしく「妙傳寺」と勘亭流で書かれたミニまねきがかかっています。
この妙傳寺はお寺のHPのよると「円教院日意聖人によって文明九年(1477)に開創された日蓮宗の本山であり、京都八本山の一つであります。はじめに、京都一条尻切屋町に建立され、身延より宗祖日蓮大聖人の御真骨を分骨奉安し、同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置しました。ゆえに『西身延』と称され、関西以西の日蓮宗信者はこぞって参拝したと伝えられています。」
現在も東山二条に広大な境内をもつ大寺です。ただし、観光寺院ではないので、参詣や駐車場を利用されている方が出入りされているだけの静かなお寺です。タクシーの運転手さんに「妙傳寺」と言っても知らない方もおられると思います。ただ、「東山二条の角、日蓮さんが御所の方を向いて怖い顔で立っておられるお寺」、といえば「あそこですか」と連れ行ってくれるはず。
さて、お寺の書院のようなところで、京都造形大学の田口章子教授から今年の顔見世の演目、見所の紹介がありました。「六代目勘九郎の襲名披露に『船弁慶』とは難しいものを選ばれましたねえ」とのこと。歌舞伎音痴の私にはよくわかりませんが、静御前の「愛」と知盛の「憎」を演じ分けなければならないからだそうです。
あと和事について、今年の演目である「廓文章」の『吉田屋』の場面での、これまでの東西の代表的な役者さんの演技をビデオで比較しながら見せていただきました。確かに「和事は体が柔らかくないとできない」ということは私にもわかりました。今年の顔見世では坂田藤十郎の伊左衛門です。
そのあと、実際の「まねき(片岡仁左衛門のもの)」をもって来ていただき、記念撮影をしたり、持ち上げてみたり。南座に上がっているもの見ると一枚、一枚はそう大きくは見えませんが、実際は一間(約百八十センチ)、私の背丈より大きいものでした。幅は一尺(約三十センチ)、厚さは一寸(約三センチ)。重さも相当重く、十キロ以上あるのではと感じました。それがあれだけの数で上がるのですから、その総重力は相当なものになりそうです。昨今のことですから地震の時は大丈夫かな、といらぬ心配をしてしまいました。
「まねき」を書いておられるのは今年で十六年目という川勝清歩さん。毎年、十一月初旬から二十日くらいにかけて五~六十枚くらい書き上げるとのこと。最後に書くのが「口上まねき」。長い難しい文章が続くので気を使うそうです。口上まねきは興行が始まると劇場の正面からは外されますが、南座正面西側の地下入り口をおりたところ、南座の事務所前に置かれています。
「まねき」を書くための墨は特殊なもの。特別の奈良産の墨に水、ニカワと酒を大きな鉢に入れて、バットをすりこぎにして磨るそうです。ニカワは耐水性を、酒は独特の「照り」を出すためと清めの意味でも加えます。筆は師匠の代から四十年も使っている馬の尻尾の毛で作られた先が丸く、コシの強いもの独特のもの。書く文字はもちろん勘亭流。隙間なく書く書体は、ぎっしりお客さんが詰めかけようにという縁起かつぎ。字のハネも全て内側に「入る」ように書かれています。よく見ると、まねきの上のへの字のひさしも「入」の文字に。訪れた折はちょうどまねきが隣の部屋で書かれている時期だったのですが、さすがに今年のものは「上げる」まで公開できないとのことでした。
最後に、その催しのために特別に注文された俵屋吉冨の上菓子をいただきながらの歌舞伎談義。私は蚊帳の外でしたが、皆さん熱く語っておられました。顔見世はいよいよ三十日から。ファンは待ち遠しいことでしょうね。