2012年04月19日
門徒の方々からは「けしからん」と叱られそうですが、直接、屋根に登ったわけではありません。修復中の東本願寺の巨大な屋根の葺き替えを間近に見たというのが正確なところです。
昨年、2011年は「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」に当たり、浄土真宗「真宗大谷派」では、特別記念事業として「真宗本廟両堂等御修復事業」に取り組んでいます。すでに2004年3月から2008年12月にかけて行われた「御影堂」の修復を終えて、昨年からは南隣りの「阿弥陀堂」の修復が始まっています。
「両堂」とはこの「御影堂」と「阿弥陀堂」のこと。実は「御影堂」の修復の折りもその一部が公開されていたのですが、機会がなく、見ることができませんでした。御影堂は建築面積において世界最大の木造建築物。その巨大な屋根の修復の様子を、間近に見たいと思ったからです。運良く今年、引き続き行われている阿弥陀堂に立ち会うことができました。
東本願寺は京都の人には「お東さん」と親しまれていますが、意外に「行ったことがない」という方が多いのです。観光客も金閣寺、銀閣寺ほどには多くありません。JRの京都駅から歩いてすぐ、というのにです。あまりに身近で「いつでもいける」という思いがあるのかもしれません。私も子どもの頃から何度か行っているのですが、いまいち、印象がありません。「鳩がたくさんいるなあ…」くらいです。
今回、改めて行ってみて、御影堂の巨大さに感心しましたが、横幅が異様に広い堂容のせいかもしれませんが、「世界一!」という迫力がありません。あまりに大きくて、下がってみないと全部が見えないので余計そう思えるのでしょう。同じ京都の知恩院三門の威圧するような迫力は感じられません。
ちなみに東本願寺は正確に言うと「お寺」ではありません。浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、宗祖親鸞聖人にお会いする場所なのです(東京など東本願寺は他の地にもあります)。
ですので、本来、寺院の中心になる金堂がありません。さらにご本尊の阿弥陀如来が安置されている「阿弥陀堂」より、親鸞聖人の御真影が安置されている「御影堂」のほうが、敷地の真ん中に位置し、規模もずっと大きいのです。
今回、修復の様子を間近に見たのは小さい方の「阿弥陀堂」です(小さいと言っても、日本で七番目に大きなお堂です)。すでに修復用の素屋根が阿弥陀堂を覆っています。
さて、見学の前に、まずは御影堂に行ってご本尊の阿弥陀如来に手を合わせます。本来ならこの阿弥陀如来は「阿弥陀堂」に安置されているはずですが、修復期間中は御影堂の南端に仮本陣が設えられ、そこに仮住まいされているのです。
中に入ってみると、その大きさが実感できます。畳九二七枚敷き、一度に三千人がお参りできるとか。年末の大掃除で畳を叩いて、その後ろから大きな団扇で扇いでいる様子をテレビご覧になったことがあるかたも多いのではと思います。
そのまま、南側の阿弥陀堂へ。工事中ということで、全員、工事用のヘルメットを着用。エレベーターもあるのですが、我々は階段で三階へ。エレベーターは車椅子の方のために設置されています。さすがに大宗派の本山、高齢者への配慮は素晴らしいものがあります。当たり前ですが、だれが本願寺を支えているか、よくご存知なのです。
上がってみると、瓦がはずされた大屋根が眼前に。近くで見ると、その大きさが良くわかります。一つ一つ手ではがされた瓦はなんと十万枚。
エコの観点から、使えるものは再度、利用されるのですが、阿弥陀堂の瓦は傷みがひどく、ほぼ全てが新調されたものになるとのこと。
瓦の大きさは縦四十八cm、横三十八cm、重さ約十㎏。屋根全体で千トンということになります。普通の家の鬼瓦に当たる「大棟獅子口」は高さ約4.3m、幅約3m、重量約2t、15個にも及ぶ瓦が組み合わさってできているそうです。
新しい瓦は耐久性を高めるため、焼成温度上げるなどいろいろと工夫されているのですが、面白いのは一万円を進納すれば、最新のインクジェットプリンターで瓦に名前や法名を印字していただけることです。仏さまのお堂も最新のテクノロジーが欠かせません。
阿弥陀堂と素屋根の鉄骨部分との間はかなり余裕があるように見えます。これは、この素屋根、実は御影堂の修復にかけられたものを、そのまま南へスライドさせて、再利用しているためです。御影堂は阿弥陀堂より一回り大きいので、このような余裕ができるというわけです。この再利用で工期、工費とも大幅に削減ができ、環境への付加も減らせるといことでした。
デッキ部分には、修復の様子や様々な関連の展示物があり、興味深く見ることができました。子供たちを意識してわかりやすく書かれているのもいいですね。
北側のデッキに出ると目の前に御影堂の大屋根が迫ってきます。修復したての美しい「瓦の海」や金色に輝く妻の部分がいつもは見ることができない距離、アングルで見ることができます。
そこで驚いたのが、妻の部分を良く見ると、細いパイプのようなものが引き回してあります。これは明治の初めに立てられた折に設置された「スプリンクラー」。その水は琵琶湖疎水から直接引かれており、琵琶湖水面との高低差を利用して、火災のときには水が噴出すようになっているのです。境内の総延長は三.五㎞に及び、八十三箇所の水栓が設けられました。
東本願寺は何度も火災で焼亡しており、「火だし本願寺」と揶揄されるほどだったため、このような最新の消火装置が取り付けられたのでしょう。
阿弥陀堂を降りて、次に御影堂門へ。本来は門の楼上に釈迦如来、弥勒菩薩、阿難尊者の三尊や仏舎利が安置され、非公開なのですが、これから修復に入るということで三尊が別のところに安置され「留守」ということで特別に見学できました。
御影堂門は、高さ約28mの入母屋造・本瓦葺き・三門形式の二重門。「真宗本廟」の扁額を掲げています。京都三大門(東福寺、知恩院)の1つです。明治四十四年(一九一一年)の再建[14]。
階段、というより「梯子」に近い急な階段を上がって楼上に。内部はすでに文字通り、ガランとしており、仏舎利と基壇以外のものは運びだされていました。
天井は絵がなく真っ白のまま。これは修復工事のためではなく、ここに竹内栖鳳画伯が「飛天舞楽図」を書く予定で、下絵もできていたのに、本人がなぜか、本絵を描くことなく世を去りました。そのため、修復後も白天井のままにするそうです。御影堂門でも2012年4月から修復のための素屋根の建設が始まります。
門を降り、次に来るのはいつになるのかなあ、思いつつ、お東さんを後にしました。