遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
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あそぶ

気楽に文楽⑧「気付け薬」と呼ばれた『仮名手本忠臣蔵』

文楽11月公演を初日に幕見してきた。演目は“通し狂言”※『仮名手本忠臣蔵』。幕見に選んだのは五段目・六段目。見せ場は「早野勘平腹切りの段」だ。
※通し狂言:通常の文楽公演は、一部・二部とも、さまざまな演目から人気の段を集めて構成される。通し狂言は、これをすべて同じ演目から構成。料理でいえば、通常はおすすめ一品料理で構成したコース、“通し”は、いわば鱧尽くし、筍尽くしといった感じだ。
今回の通しは、忠臣蔵。歌舞伎などでは一部の段が上演されることも多いが文楽となると、通し上演が多い。

初日看板も晴れやかな、国立文楽劇場

◆おかずにつまったら焼豆腐、外題につまったら忠臣蔵!!

忠臣蔵は、ご存じのとおり元禄14年の赤穂事件をきっかけにした15年の討ち入りが題材。討ち入りの翌16年に曽我兄弟の仇討に設定された芝居となったが、すぐに上演禁止となったという。
4年後に、近松門左衛門が人形浄瑠璃『碁盤太平記』として上演。以後、人気の題材として、数多く作品化された。
集大成として書かれたのが、今回も上演されている『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)※。初演より大当たりとなり、その後、独参湯(どくじんとう:気付け薬。劣性挽回、常に大入り)と呼ばれたほどの人気狂言に。『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』※と並び、三大時代物と呼ばれている。
竹本住大夫※著の『文楽のこころを語る』(文春文庫)にも、「昔は外題につまったら忠臣蔵、おかずにつまったら焼豆腐といったほどの人気狂言でした」と書かれている。

「忠臣蔵 夜討四 両国引取」(広重 作)

※『仮名手本忠臣蔵』:二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作の人形浄瑠璃。寛永元年(1748年)
※竹本住大夫:浄瑠璃を語る大夫の第一人者。重要無形文化財保持者(人間国宝)
※『菅原伝授手習鑑』:平安時代の菅原道真の失脚事件を中心に彼の周辺の人々の生きざまを描く
※『義経千本桜』:源平合戦後の義経の都落ちをきっかけに、巻き込まれた人々の生きざまを描く

◆いろは四十七文字と、四十七士

日本人の大好きな忠臣蔵。毎年、討ち入りの日、12月14日近くになると、特別ドラマや映画の再放送などが放映されるのを、みな決まりごとのように待っている。わが母もそのひとりで、その日ばかりは深夜に及ぶ放映にも、目はパッチリ開いているらしい。忠臣蔵がない年があれば「物足りない」と憤懣やるかたなしだ。
忠と義。恋や情愛も絡んで日本人好みの要素がちりばめられた忠臣蔵。ヒットのもとになった『仮名手本~』の構成はもちろん、ネーミングのうまさも、伝承伝播の一助になったのではないだろうか。
『仮名手本~』とは、仮名文字が四十七文字なので、四十七士に掛けたとか。いろは歌を七文字ごとに区切り一番下の文字を読むと「とかなくてしす=咎無くて死す」となるからとか。
『忠臣蔵』は、内蔵助の蔵と掛けたとも、蔵いっぱいの忠臣を指すともいわれ、こうした遊び心も、『忠臣蔵』の名を定着させることになったのだろう。

すべてはここから始まった。『仮名手本忠臣蔵』の塩谷判官と高ノ師直(史実での浅野内匠頭と吉良上野介)。絵は共に広貞

◆勘平、早まりし! 腹切ってより血判書に連判

さて、私の幕見した段。主人(塩谷判官=浅野内匠頭)の難儀に居合わせることができず、武士を捨てた早野勘平(トップに使った浮世絵は、その際、切腹しようとする勘平を恋人おかるが止める場面と思われる。豊国 作)。女房おかるの実家に身を寄せ,猟師として暮らすが、なんとか仇討の一行に加わりたいと思っている。
そんな婿の心を思い、娘おかるを売って勘平に資金を調達しようとする舅。金を受け取って帰る山道、盗み目当ての定九郎に殺されてしまう。そこへ猪を追ってきた勘平の銃弾が定九郎を撃ち殺す。定九郎の懐の金を仇討一行の資金にと同士に届けて家に戻った勘平は舅の死に、自分が撃ったのは舅だと勘違いする。
同士と姑に親殺しを責められ、たまらず腹を切る勘平。せめて誤ってのことと伝えようと、苦しい息で事情を伝える。その話に、舅を殺したのは定九郎で、勘平は図らずもその定九郎を撃ち、親の仇を撃ったことが判明する。
同士は、死にゆく勘平に討ち入りの血判書に連判させ、勘平は願いがかなったと喜びながら息を引き取る。

猪を打った弾が、図らずも舅の敵:定九郎に当たる(国芳 作)

早野勘平は、萱野三平の名をモデルにした架空浪士。物語はオリジナルだが、腰元おかるとの恋、そして誤解から腹を切る悲運のストーリーは人気が高い。姑と同僚への言い訳に、まず腹に刃を突き立て、その後、「先づ、先づ、先づ、聞いてたべ」と、語り出す。その話に真実が判明し、「勘平、早まりし(腹を切ったこと)」と叫ぶ同士。もう、このあたりで私はどっと涙。
誤解が解けたのを冥途の土産と、切腹を続けようとする勘平を止め、討ち入りの血判書に署名させる同士。武士の心と人情味あふれる場面に、さらに涙。
「かたじけなや、ありがたや、わが望み達したり」と息絶える勘平に、またまた涙。と、泣きながら帰った私だった。

▲猟師となった早野勘平の頭。刀を腹に突き立てたと同時に、束ねがほどけ、ざんばら髪となる。眉を上げ,寄り目となって、無念さと苦しさを滲ませる表情に。(古典芸能入門シリーズⅢ「文楽のかしら」/独立行政法人日本芸術文化振興会刊)

◆幽霊となって討ち入りに加わる勘平の絵も

文楽劇場一階の展示室では『忠臣蔵資料展』が開催中。大阪の吉祥寺※、京都山科の岩屋寺※、大石神社※など、忠臣蔵ゆかりの寺に残る遺品や画像などが展示されている。
国芳の錦絵では討ち入りの四十七士の中に、幽霊となって参加する早野勘平が描かれている。腹切りの段を見た後で見ると、より味わい深く、どこか慰められる気がするだろう。

浅野内匠頭画像や大石内蔵助の像も展示

※義士の寺吉祥寺(JRお出かけネット)http://event.jr-odekake.net/spot/1331.html
※岩屋寺(京都観光Navi:http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=269
※大石神社(京都観光Navi:http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000022

◆赤穂の塩を買って帰りけり

売店では、忠臣蔵にちなみ、赤穂の名産品を販売。塩味饅頭、塩羊羹、塩飴。ストラップや手ぬぐいなどのグッズもある。私は自分用に赤穂の塩を、両親への土産に塩飴を購入。
塩飴は、飴フリークの両親に好評だった。両親も「忠臣蔵」を見ようと一部の切符を購入しているようだ。
私も時間が合えば、また、幕見をしようと企んでいる。
遊び人を装う由良助(大石内蔵助)と遊女になったおかるがからむ『祇園一力茶屋の段』でドキドキするのもよし、討ち入り後の『花水橋引揚げの段』を見てほっとするのもよし、いずれにしても見せ場の多い忠臣蔵、見たい場面が目白押しだ。

秘密を知ったおかるに身請けの話を持ち出す由良の助「一力茶屋の段」(広重 作)

忠臣蔵にちなみ、赤穂の名産品コーナーが。

赤穂の塩と、塩飴を購入

通し狂言『仮名手本忠臣蔵』は11月25日まで。

国立文楽劇場
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html

安里道行
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