2012年03月06日
京都冬の旅2012初公開の、平等寺の如来様を見に行ってきました。
平等寺は通称「因幡薬師」(いなばやくし)で知られる古刹で,「平等寺」(びょうどうじ)の寺名は、あの高倉天皇により下賜されたとか。高倉天皇とくれば平家物語、清盛にも縁のあるエピソードが残るお寺です。
京都冬の旅:特別公開~3月18日[日]まで
http://www.kyokanko.or.jp/huyu2011/2011huyutabi_1.html
◆ぎょっ!?高倉天皇の恋人の髪で織った光明真言
高倉天皇の正室は、平清盛の娘の徳子(のちの建礼門院)。この正室より高倉天皇が寵愛したのが琴の名手:小督局(こごうのつぼね)です。
二人の恋は清盛の怒りにふれ、小督局は無理矢理出家させられてしまうのですが、その小督の髪で織った?とされる経典が、平等寺に伝わっています。
経典の端からは毛髪が出ていて…なんだか、恐い~~~っ!?
小督愛用の琴や硯箱も見ることができます。
平家物語の小督の物語は印象的でしたが、最近、習っている鼓でも『小督』の曲を打つことがあり、「峰の嵐か、松風か、訪ねる人の琴の音か~」の謡いに、美しい小督局と琴の音を思い浮かべます。
小督とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%9D%A3
◆因幡の国(鳥取)から飛んできた!?如来さま
さて平等寺の御本尊時の薬師如来(重要文化財)。1千年前、神事で因幡の国に赴いた貴族が病になり、平癒を祈ったところ、夢のお告げがありました。お告げに従って海から引き揚げたのが薬師如来像。像を安置する堂を建てて信心すると、病気が治り、京にもどることができたそうです。
そしてある日、この如来様が京の貴族の館に現れたので、お堂を作って安置したのが因幡堂、のちの平等寺の縁起とされています。
柔和な御顔立ちの薬師如来様は、頭巾をかぶった珍しいお姿で、因幡の国から飛んできたため、後光も台座もないお姿となっています。
(鳥取には、薬師如来を最初に安置した堂が残り、後光と台座だけを奉っているそうです)
信州の善光寺、京都嵯峨の清涼寺とともに、日本三如来だそうです。この機会に、ぜひ如来様をご拝観ください。
10人も入ればいっぱい、という小さな収蔵庫で、如来様を間近に見ることができました。なんだか、とてもありがたい気持ちに…
日本三如来
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%A6%82%E6%9D%A5
◆狂言の演目にもなった、浄瑠璃発祥の寺
さて、私がこの平等寺に惹かれたのは、三如来や小督のエピソードもさることながら、こちらが浄瑠璃発祥の地ともされていることから。
古典芸能好きの道行としては、一度は訪れてみなくては、と。
かつてはここで、猿楽や歌舞伎なども頻繁に催されたそうです。
2003年の千年祭では、茂山一門の狂言『因幡堂』『鬼瓦』などが本堂で上演されたそうです。いずれの演目も、因幡堂が出てくるもので、芸能との縁の深さを伝えてくれます。
本堂内にも、等身大の十二神将、象を背負った不動明王など、興味深い仏が並び、小じんまりしているけれど、見どころ満載のお寺です。
狂言『因幡堂』
http://www.tarokaja.com/wiki.cgi?page=%B0%F8%C8%A8%C6%B2
狂言『鬼瓦』
http://www.tarokaja.com/wiki.cgi?page=%B5%B4%B4%A4
平等寺
http://www.inabado.jp/
◆3月3日。下賀茂神社の『流し雛』の日でした。
平等寺を訪れたのは3月3日。雛祭とあって、午前中に下賀茂神社の『流し雛』を覗きました。
流し雛は、さんだわらに乗せたひな人形を川に流し、子供たちの無病息災を祈る神事。今では、女の子が生まれたら無事大きく育つことを願い、小さな人形を飾るお祭りとなりましたが、流し雛の風習は、現在でも地方に残っているところもあるそうです。
下賀茂神社では、神事の後、十二単と衣冠束帯に身をつつんだ男女がみたらし川にさんだわらを流し、舞妓さんなども続いた後、一般の客も順に流すことができます。
流し雛のあと、小督ゆかりの寺を訪れ、なんだか遠い昔の女性の暮らしや思いに触れたような、京の一日でした。
下賀茂神社
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
ほんやら洞とは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%82%84%E3%82%89%E6%B4%9E_(%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97)