遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

あそぶ

目隠しトレイル

目隠しトレイルというネイチャーゲームをご存じでしょうか? 仕掛けは非常に簡単です。公園や森の中の大木を何本か選び、樹間にロープを渡すだけで準備完了です。まっすぐよりも、いくぶんジグザク気味になるように樹を選ぶ方がゲームに変化がつきます。

目隠しして歩くスピードは、子どもたちによってまちまちだが、総じて大人より速い。

ロープの高さは、自然な位置で手で握れるぐらい。対象が子どもならば、やや低くします。このロープを目隠しした状態でたどるのが、目隠しトレイル。ごくごく簡単な遊びなのですが、これが結構面白いのです。

ゲームはまず、目隠ししない状態で、ロープを伝ってゴールまで歩きます。スタートからゴールまでの距離が10メートルほどなら、ほんの数秒もあればゴールに到着します。ただ単に歩くだけですから、何にも面白くありません。でも、この「なーんや、あほみたい」という経験が実はあとに生きてくるのです。

地面のわずかな高低差もブラインド状態ではずいぶんおっかない。

次にいよいよゲーム本番。目隠しをして、同じように樹に渡したロープをたどるのですが、この感覚が眼を閉じたときにはまったく異なるのです。スタスタと歩いていた足取りはめっきり遅くなります。腕を前に突き出して障害物がないか確認したり、つまづくことのないように、用心に用心を重ねて歩きます。10メートルほどの距離がはるかな距離に思えることが不思議です。人間、いかに視覚に頼っているのかを改めて思い知らされます。

先日、川西市の能勢川キリスト教会キャンプ場で、ビーバースカウト(幼稚園年長~小学校2年)の子どもたちと実際に試みてみました。リーダーをはじめとする大人は、みんなおっかなびっくりの足取りでしたが、意外だったのは、子ども達が眼が見える状態とほとんど変わらないくらいに、ロープを伝って行ったことです。結局、大人のほうがよりゲームを楽しんだ格好になりましたが、この違いはなぜでしょう。

もちろん、背の高さもあるでしょう。スケートで転んでも、大人のほうがダメージが大きいように、地面からあまり離れない身長の子どもには、安心感があるのかもしれません。しかしそれだけではないようです。大人が臆病で慎重なのは、それ相応の体験を重ねてきていることに理由があるような気がします。

われわれ大人は大なり小なり、様々な痛い目に遭ってきています。頭をぶつけて何針か縫ったこと。切り株につまづいて、落ちていたガラスの破片で手を切ってしまったこと。運悪く頭の上から鳥の糞の先例を浴びたこと、そんな記憶が交じり合って、歩みを慎重にさせたのではないかと思います。小さな子どもは、そんな「痛い目」の経験が少ないし、外で遊ぶことが少ないので、ケガの絶対量も不足しています。だから、恐いもの知らずでたどって行けるのでしょう。「…蛇に怖じず」のたとえどおりです。

子どものことだと笑ってはいけません。われわれ大人も「目が見えていない」ことなんていくらでもあるのです。たとえば、集合住宅に住んでいた人がはじめて庭付きの一戸建てを買うときはどうでしょう。買うときには心ワクワク、夢は限りなく広がります。庭には何を植えよう? インテリアはどんなトーンでまとめよう? うれしい悩みが次から次へと生まれてきます。

ところが、住みはじめてから、5年、10年もたつと、集合住宅では思いもかけなかった「事件」が次々に起こってき始めます。

●インターネットのコンセントがないので、ネットにつなげない

●カッコイイ吹き抜けはいいのだが、暖房効率が悪すぎる、それに、シャン デリアの電球を取り替えるのにもひと苦労。

●ガーデニングどころか、庭の草取りさえ、手間をかけられない。

列挙すればきりがありませんが、こんなことがつぎつぎに湧き起こるものです。子どもの目隠しトレイルと同じで、失敗体験を持たなかったからですね。人間、高い買物ほど衝動買いに走る、とよく言われますが、その多くは「見えてない」ことによるものです。

数メートルが百メートルにも感じられる目隠しトレイルのロープ。

そこで頼りになるのは、経験者の言葉です。目隠しトレイルになぞらえれば、「今はダイジョウブだけど、2メートル先に切り株があるよ。」と教えてくれることなのです。兼好法師がいみじくも言ったように、「何事も先達はあらまほしきものなり」なのです。

AIDMAの法則から最近はAISASの法則が叫ばれるようになりました。最後のSは、シェアの意味。情報を共有化するということです。事例や証言といったコンテンツが重要なのも、先達の経験則を事前に学習できるからです。企業側からみれば、成功も失敗もふくめて、経験知を開示することで、顧客の信頼を生み、次の顧客開発につなげてゆくことです。まさに、商売は売ったときから始まるということですね。

中田無麓
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