遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

あそぶ

私のマラソン初挑戦(大阪マラソン)

初フルマラソンのホットな体験談を、聞きました!

遊悠メンバーが、常日頃デザインでお世話になっているADの久保 広さんが第一回大阪マラソンに参加。
初挑戦ながら見事なタイムで完走。遊悠レポーターの道行も、沿道に応援にかけつけました。
その時、見た久保さんの爽やかな表情!
「えっ、あれが久保さん!?」
「なんか、めちゃカッコイイやん」と見直すほどでした。

◆久保さん。大阪マラソン完走おめでとうございます。
マラソン初体験と聞いていますが、参加のきっかけは?

●仕事でスポーツメーカーにプレゼンしようと企画会議を練っていたのですが、「大阪マラソンもあるし、ランニングコンテンツは?」という話になったときにメンバーにランナーはいなく、いまひとつランナーの気持ちやニーズがわからなかったんです。
ならば自分がエントリーしてランナーになってみようと。でもきっと落選するから大丈夫(?)と思っていました。(笑)

◆初体験でフルマラソンを完走されたわけですがかなりトレーニングされたんですか?

●春に当選通知が来たときに、身長170cmで体重が72kgあったんです。
高校時代は陸上部で短距離を走っていましたが、長距離は苦手。当時8キロの市民マラソンに1回出ましたが、かなり苦しかった記憶がありました。これは相当気合を入れて半年間で肉体改造をしなきゃ。と思いましたね。
ネットで「ミズノマラソンクリニック」という講習会を見つけて、即申し込みました。
半年間で5回の講義&練習会で毎回10km程度マラソンコースを分割して試走するというものです。

クリニックでは練習の仕方など大変参考になる話をたくさん聞けました。
「毎日30分でも時間を見つけて1ヶ月のべ100kmを走ってください」という教えを目標に、平日、仕事が終わって帰宅後に3〜6kmを週3日程、週末は家の近くを15kmほど走りました。それで月に80kmぐらい走ってましたね。終電で帰ったあとも深夜走ったりもしました。

でも最初は歩くことから始めました。会社のある天満橋から梅田まで毎日徒歩で帰宅しました。最初は「歩けるかな?」と思いましたが無事梅田までたどり着きました。(笑)
慣れてくると中之島を歩くのが気持ちよく、歩いて帰るのが楽しみになりました。

ミズノマラソンクリニック1

ミズノマラソンクリニックでまず基本を学ぶ

◆食事のコントロールなどもされましたか?
奥さんの協力や、アドバイスは?

●週末の15kmランも最初は走りきれず、膝が痛くなって歩くことも困難になり、妻に電話して車で迎えに来てもらおうか?と思ったほどでしたから、まず体重を軽くして膝への負担を軽減する必要がありました。

iPhoneのカロリー計算アプリを使って口にするもの全てのカロリー計算をしていましたね。徐々に体重が減ってきて食事の量の勘も付きました。妻は看護師ですから、結婚以来ずっと食事には口うるさいです。(笑)

食事と運動と体重コントロールの情報はネットから得ました。軽い筋力トレーニング→ラン→食事の順が体重の減る食べ方。空腹で走るのがポイントですね。大会前日には64.4kgと20代の頃の体重に戻し、8kgの減量に成功しました。

サポーターの関西大学、武田夏実教授のメンタルトレーニングの公開授業も参加して大変勉強になりました。試走の重要性を教えていただいて、全コース、試走を果たして地図にルートと目標通過タイムを書き込んで毎日頭に叩き込みました。

◆当日のスタート時の状況をおしえてください。
すごい熱気だったでしょうね。

●スタートは9時ですが、7時30分には会場(大阪城公園)入り。5時に起床して電車に乗りましたが、車内も大阪駅もランナーたちでいっぱい。スタートは申告タイム順にブロックごとに分けられており、混乱はありませんでした。
1時間前からスタート地点に並びこみましたが、徐々に人が集まってきました。15分くらい前になるとみんな立ち上がり、会場の気持ちが高ぶってきているのが確実に伝わってきました。みんなの半年なり、1年なりの集大成が今始まろうとしているのですからね。

事前に聞いてはいましたが、号砲が鳴っても10分ぐらいはその場に立っているだけでした(笑)。徐々に歩けるようになり、走り出してスタート地点を通過した時は号砲から17分後。3万人のスタートには30分かかるそうです。

スタート時点。次第に緊張感が高まる

◆走っている時の気分は、どんな感じですか。
沿道の応援もすごかったと思いますが。

●走り出してすぐに「速い!」と思いましたね。みんなスタートの遅れを取り戻そうと気持ちが焦るのでしょう。道にびっちり人が流れているので、僕も3万人の流れに流されてなかなか自分のペースで走れませんでした。しかし、やがて30kmぐらいからみんな歩き出します。
レース本番というのは前半ハイペース、後半歩きになるものなのだなと勉強になりました。
それに惑わされず、自分のペースで走ることが大切です。僕もマイペースは十二分に心がけていたつもりですが、すっかり周りのペースに流されてしまいました。

走っている時は楽しいですね。15kmぐらいまではニコニコして走っていたと思います。御堂筋のど真ん中を走れる機会なんてそうないですからね。

21箇所にボランティアの「盛上げ隊」が吹奏楽やダンス、民謡、和太鼓などでランナーを盛上げてくれています。走る前は「やかましいだけ」ではないのか?と思っていましたが、走ってみると全く逆でありがたい応援です。後半苦しくなってくると、自分から盛上げ隊に手を振ったり、音楽に合わせて手拍子しながら走りました。

御堂筋を激走…気持ちイイ!

◆一番苦しかったのは、何キロ地点ですか?
その時考えたことは?どうやって切りぬけましたか?

●想定ペースより早く流されてしまったので、20km地点ぐらいから呼吸系に疲れを感じ出していました。木曜に仕事で徹夜してしまったこともあり、「今日は体調が悪い。完走は無理かも知れない」と思いました。
しかし中間地点を想定の3時間以内で通過できたこともあり、「タイムは悪くない。あとは完走するにはどうすればいいか?」だけを考えていました。
完走が目標だったので疲れたら歩きを挟んでもいいですし、時間には余裕があったので「ペースをもっと落とそう」と考えていました。

25km地点ぐらいでは、今までの辛かった半年間の練習を思い出しました。夏の夜、もう誰も居なくなった暗い道をとぼとぼと足を引きずり帰ったこと、マラソン挑戦を打ち明けたら、自分ごとのように喜んでくれて、土佐堀通りの歯科医の前に僕への応援メッセージを張り出してくれた湯浅先生。半年間、大阪マラソンの新聞の切抜き情報をくれた喫茶店MACのマスター。会社の先輩方や壮行会を開いてくれた妻の姉妹や家族。

「その方たちの期待を裏切ることは出来ない。もう自分の為だけに走っているのではない。応援してくれた人を失望させたくない、僕が完走することで何かを感じてもらえたらそれでいい。何が何でも這ってでも完走するんだ!!」そんな怨念で?走っていましたね。

湯浅歯科のメッセージ、ドクターと握手

40kmという距離は普通に考えたら歩くことさえ到底不可能な数字に思えます。能勢の家から会社まで車のナビで入れたら36kmですからね。(笑)クルマでも楽ではない距離です。しかし、10kmを4つと考えたら可能性を感じるんです。辛いことは分割して考える。10kmなら確実に走れる。それを休み休み4回やればOKなんだと。

レース1週間くらい前に40kmという数字に壁を感じたときはこうも考えました。「もし僕がずっと五体不満足な身体であって、レース当日神様に五体満足な身体を授かったとしたら、どんなに喜んで走るだろう」と。人間はどんな人でも全員、不可能なことでもやり遂げるすごい力を持っているんです。「心」は無限エネルギー製造所です。

◆大阪を掛け抜けて、改めて感じた大阪の印象は?

●28km地点ぐらいで体力はもう残り少なかったと思います。しかしその辺り、26号線沿い西成区の花園〜玉出間の応援はものすごかったです。
試走時にも大国町から南港まで走りましたが、西成区をジョギングしている人なんていませんし、たぶん変な目で見られていたと思います。変なおじさんはふらふら歩いているし、人の表情は暗かったです。
しかし、大会当日いざくじけそうな市民ランナーがいると地元の方は本気で応援してくれました。想像ですがトップの招待ランナーより、ビリの市民ランナーの方が声援が大きかったのではないでしょうか。

くじけそうな自分がいるから、沿道にパワーをもらいに行きました。「あ、あそこに元気そうな応援者がいる!元気をもらおう!はい、タッチ!」と沿道の人に積極的に手タッチをしにいきました。子供を抱っこしたおかあさん、小学生軍団、おじいちゃん、おばあちゃん…みんなの必死の表情やかけてくれた言葉は確実に僕に力をくれました。

試走時に立ち寄った花園の薬局の前に来たとき、「あぁ、ここまで来たか」と心が緩んだんでしょうね。沿道のタッチから僕の心にダイレクトにパワーが伝わり、「いったい、何故この方たちは何の得にもならないのに、こんなに必死で僕たちを応援してくれるのか。なんて有難いんだ」と思ったら、思いもかけないことが起こりました。

涙がどどーっとあふれ出してきて、おえつがするくらい泣き出してしまったのです。声を出して泣きながら走っている。もう何が何だかわからない。とにかくもう絶対完走してやる!それしか考えられませんでした。

僕は北摂育ちで淀川より南には住めない人間で梅田まで出るのがせいぜい。学生の頃は、なんばへ行っても落ち着かず、ロケット広場もどこだか知りませんでした。結局、通天閣も登ったことがありません。
今回大阪マラソンに参加して、コースを試走したり、本番で沿道から暖かい声援を受けたりと、普段足を向けなかったディープな大阪を肌で体感しました。土地を知るにはジョギングがいちばんという話もあります。
大阪は弱い人間に愛情を注いでくれる暖かい街場でした。

戎神社前の交差点を通過

◆走りながら、ランナー同士、コミュニケーションを
取ったり、励まし合ったりしましたか?

●スタート地点で僕の横に速そうな男性がやってきたんです。スタート時間が迫るにつれ、彼に声を掛けたいと思うようになり、「目標タイムはどれくらいですか?」と話しかけてみました。「4時間…と言いたいところですが、5時間30分くらいを目標にします。実は僕、初マラソンなんです」との答え。「僕も初マラソンです。僕はゆっくり完走を目指して6時間です。お互い頑張りましょう!」と固く握手を交わしました。いいですね〜スポ魂青春ドラマ。(笑)

走りながらのコミュニケーションは僕はしませんでしたが、友人と走っているランナーはたくさんいました。北加賀屋32km地点で男性2人連れの片方が足をつってしまい、道路に横になり友人に足を伸ばしてもらっていました。「もう俺を置いていってくれてええで」「そんなことできひん!」ここでもスポ魂青春ドラマを垣間見ました。

仮装しているランナーも多かったです。通天閣とスカイツリーの被り物をしたオジサン2人連れ、全身ドラえもん、裸足の天使、ゴール近くで浴衣で走っている女の子も見つけてびっくりしました。

沿道の応援にタッチで応える(岸の里付近)

◆沿道でのサポート食とか、どんなものがありましたか。
印象に残ったもの、おいしかったものを教えてください。

●23km地点から給食が出ます。バナナ、グリコキャラメル、スポーツゼリーなどです。
住之江公園前の給食所が地元の商店街サポートで最もユニークな品揃え。ごぼうのつけもの、コロッケ、くずもち、どやらき、きゅうりアイス(売り切れでした)など到底マラソンに似つかわしくないものがどっさり(笑)。
いちばん食べてしっくり来るのが、バナナでした。シンプルですがバナナを食べると力が湧いてくる感じがしました。世界のトップテニスプレーヤーも試合中にバナナを食べますが、その理由が解りました。

◆ゴールした時の気分を教えてください。

●ゴールが目前に見えたとき、「ああ!本当にここまでやってきた!!」と思いました。
走れない足を引きずってみんな執念深く諦めずにやって来た訳ですから、三蔵法師が天竺にたどり着いた心境ですね。ゴールだけは走って手を上げてVサインでゴールしたいと思いました。目標の6時間を切る、5時間47分で完走することが出来ました。
ゴールラインを通過した瞬間、また涙が溢れそうになりました。その後はしばらく頭の中は真っ白です。


ゴール直前、ゴールゲート、ゴールの瞬間

◆ゴールして一番うれしかったのはいつですか。
やっぱり奥さんの顔を見た時?

●妻は応援で参加して一緒に走っている感じでしたから(笑)。ボランティアの高校生に首に完走メダルをかけてもらった瞬間が嬉しかったです。自然にニコニコしてしまいました。着替えた後、妻と会うときは「どうだ!」と誇らしげな気分になりました。

完走のメダルと記念のタオル

◆当日夜、翌日の体調は?
フルマラソンの影響は、かなりありましたか?

●翌日は寝込んでしまって出社できないのではないか?との心配もありましたが、身体はいたって通常でしたね。ただ、膝が曲がらず階段を降りることが困難で、しばらく足が不自由なくらい。
やはり半年間のトレーニングは効いているんですね。またトレーニングした身体でないと完走はできないとも感じました。

◆振りかえって、今回のマラソン体験がもたらしたもの、
自分が変わったなと思えることがあれば教えてください。

●すごく格好よく言えば「自分は独りで生きているのではない」と体感したことですかね。自分は周囲に支えられて力をもらって生きている。他人の有り難みがわかります。
マラソンは一種の「行」だとも感じます。半年間ストイックに修行を重ねて大きな目標に到達する。マラソン大先達の原田さんがその後、お遍路に出かけたのも自然な流れだと思います。

春に「当選したのは何か意味があることかも知れない。人生のターニングポイントになるかも」と思っていましたが、ずばりその通りでした。完走した後に何が待ち受けているのかは走った人にしか解りません。
到底無理そうなことでも目標を立てて、コツコツやれば実現できる。すばらしいことです。
今の僕には何だってやれる気がしています。

◆すっかりマラソンにはまったのでは?
今後の予定等もあれば教えてください。

●この半年間、あまりにも大阪マラソンに没頭してしまったので、大会が終わったら、自分は燃え尽きてしまうのではないかと心配しました。(笑)
10月30日が近づくにつれて楽しみな気持ちが高ぶってはきていたけれども、もう終わってしまうことに寂しさも感じていました。実は大会後、何を糧に生きていけばいいのか見つけられずにいたのです。

しかしそんな不安は全く不要でした。
終わった瞬間に「すばらしい体験をした。また走りたい」と素直に思えたからです。そう、また走ればいいのです。これは終わりではなく、すばらしい世界を今見つけて始まったばかりなんだと。
MACのマスターに「次はこれやな」と手渡された大阪ハーフマラソンと3月の篠山マラソンにエントリーしました。もう次のレースの練習が始まっています。

こんな世界があるなんて全く想像もつきませんでした。マラソンなんて他の誰かがやることだと思っていましたから。
でもこれは誰でも努力すれば出来ることなんです。大阪マラソン完走率96.4%という数字がそれを証明しています。

◎なんだか私もマラソンに参加したいような気持に
なりました。熱い体験談、ありがとうございました(道行)。

■当日の詳しいもよう、半年間の練習記録はこちらのブログから
http://ameblo.jp/tota164

tota
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