2012年11月15日
北向稲荷の横の道が通れないので一旦、参道を降りて前の道を西に。少しゆくと南側に「元三大師」の石碑がある。ここを北に折れるとやや急な石段を経て「尊勝院(そんしょういん)」という小さなお堂に出る。
尊勝院は、元三大師こと良源(りょうげん)をお祀りする天台宗の寺。良源は平安時代、十世紀に活躍した天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られる。比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。「おみくじ」の創始者といわれ、中世以来、現在に至るまで「厄除け大師」などとして、民間の信仰を集めている。
その尊勝院の横に結界のような門があり、そこから山道となる。
左(東)側はウェスティン都ホテルの敷地。フェンスで仕切られている。急な坂道を登ること十五分くらいだろうか、視界が開けたちょっと平坦なところにでる。この辺りが粟田山の頂上らしい。といっても何もないので確認は難しい。
更に尾根道を進むと「将軍塚」の大日堂の脇にでる。将軍塚の由来は『桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡に移されましたが、いろいろと事故が続きました。この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。
天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました』-青蓮院HPより
大日堂は春の桜、秋の紅葉の名所として有名で、その時期には夜間のライトアップも行われている。
将軍塚の東山山頂公園の展望台は京都市中を鳥瞰できるスポットである。とくに夜景の名所として車でのデートコースと知られている。
大日堂に戻り、そこの自販機で水分補給(気軽に出かけたので水さえ持っていなかった)。先ほどの道に戻り、今度は西に直行して円山公園を目指す。降りてゆくと道標があるがどうも怪しい。ままよ、と降りて見たが予想通り行き止まり。元のところまで引き返し、もう一方の道を下る。
少し急な山道を下るとすぐに「圓山聖天堂」の小さな境内に至る。生駒聖天より勧請された、かつての雨宝堂。
その境内に「浴油」の石標が並び立つ。「浴油」とは聖天独特の供養法のことで、密教の修法の中でも最も深秘の法とされている。普通では不可能と思われるような願い事でも、聖天の不思議方便の働きで必ず成就すると信じられている。
すぐ下の円山公園、八坂神社の喧騒とは縁のない静けさである。そこから石段を下るとようやく円山公園の東の端に降りてくる。目を引くのは料亭「左阿彌」。江戸時代、このあたりは、遊興の地として賑わい、安養寺の末寺として建てられた。嘉永二年、料亭となり明治維新以降、御前会議に使われたこともあり、川端康成や志賀直哉など京都を描いた作家らも、ここで京都の風情を楽しんだ。
更に下ると、泉水の流れる庭園に至る。この庭園は「植治」こと七代目小川治兵衞が作庭した池泉回遊式の日本庭園として知られる。今は同じ植治の手になる「無鄰庵」の庭に比べ、手入れが行き届かず、やや荒れた感じがして惜しい。
円山公園を北にでて、知恩院、青蓮院を経て、我が家に戻った。粟田山に登るつもりが尾根伝いに、華頂山、円山、長楽寺山と東山三十六峰の峰々にも至ったことになるが、それらの山へは稿を改めることとする。