遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

あそぶ

仏師 坂本アサさん(その二)

仏像彫刻を教える

坂本アサさんは、もう20年近く各地で仏像造りを教えている。
全国のカルチャーセンターなどでも「仏像彫刻」の教室は
開かれているが、素人には、仏像彫刻はとてもハードルが
高そうに思える。

彫刻刀を初めて持つ、なんて人にはちょっと無理ですよね。
ところが意外にも、「いいえ、教室に初めてこられるかたは、
ほとんどそうです。でも、三ヵ月後には、みなさんご自分の
仏像を彫りあげられます」。

にわかには信じがたいお答えだが、大仏師が、それを
可能にしたんですよ、と、本を見せてくださった。

「松久宗琳の仏像彫刻 入門から中級まで」

「松久宗琳の仏像彫刻 入門から中級まで」

それは「松久宗琳の仏像彫刻 入門から中級まで」、
アサさんの師の著書だ。
たしかに優れたノウハウ本というのはあるのだろうけれど、
でも、とわたしはまだ疑っている。

「この板を最初に彫っていただきます(本の上にのっている
かまぼこ板のような木)。この木の表面に見える縞模様、
細くて濃い部分が冬目、広くて明るい部分が夏目です。
冬目は硬く、夏目は柔らかい。刃のすべりがちがいますが、
ここにかんたんな幾何学模様を彫る練習をします。
「地紋彫り」といいますが、これで初めて彫刻刀を持つかたも、基本的な刀さばきが学べます」

幾何学模様を彫る練習の様子

幾何学模様の「地紋彫り」

 

仏の足の部材

仏様の足の部材を彫る

仏像を彫るために身につけなければならない手順が、
きちんと決まっているのだ。仏の足、仏の手、仏頭も、
部分ごとに練習する。アサさんが教室で実際に使っている、
教材を見せていただいた。

坂本さんと教材

坂本さんと教材

手前に見える、如来像、右側は彫りはじめの像、左側は
さらに彫りすすんだ状態、と各段階の見本が用意されている。たしかに基本を学びながら、仏師のアドバイスを受け、自分だけの仏像を彫っていくなんて、なかなか贅沢な体験だと思う。

生徒さんはどんな方ですか。
「定年になってすぐ、という方が多いですね。
若い人も何人かはいらっしゃいますが、やはり熟年が
主流です。何年も通っている方も結構おられます」
なかには、仏像を二ヶ月に一体ずつ彫り上げる猛者も
いるそうだ。

「松久宗琳は、仏像の寸法もわかりやすくパターンで表して
いるので、初心者もバランスのとれた仏像が造れます。
これは、明治の先人の偉大な功績があってできたことだと、
思います」

アサさんは、もう一冊の本を出して、教えてくれた。

坂本さんと仏像彫刻の本

明珍恒男の業績を太田古朴が後世に伝えた「仏像彫刻」

明治に西洋の文化が怒涛のように押し寄せてきたときに、
たとえば、エジプト彫刻にはエジプト彫刻の法則がある、
でも、仏像法則というのは不明だった。
そこで、東洋彫刻の根本の法則を確立したいと、
明珍恒男(みょうちんつねお)という彫刻家が行動を
起こしたそうだ。

なんと、寺院にある仏像を、ひとつひとつ実際に寸法を測り、それをスケッチにおこし、数字を書き入れて
「仏像彫刻」という本にまとめた。

アサさんが持っている本は、この明珍さんの業績が
忘れられている、後世に残したい、と大正の人、太田古朴
(おおたこぼく・仏像彫刻家、研究者)が、まとめたもの。

「明治って、ほんとにすごい、と思うんです」と、アサさん。
そうだ、明治という時代は、国を開き、西洋諸国の大きな力に飲み込まれないように、西洋に伍して自分の足で立つために、在野の人も、素封家も庶民も、なんの報奨も求めず、
血のにじむような、涙ぐましい努力をした時代なんだ。
アサさんとひとしきり、明治をたたえて、今回は終了。
次回は、アサさんの「木彫家」としての作品を紹介する
予定だ、おたのしみに。

現在アサさんが教えている「仏像教室」は、こちら。

神戸新聞文化センター(KCC)
http://k-cc.jp/
(彫刻・陶芸の講座で、探してください)

小阪カルチャースクール
http://www.kosaka-culture.com/
(講座一覧から、美術・書道のコースからさがしてください)

講座は、変更される場合もありますので、直接、お問い合わせくださいますようお願いいたします。

(ここまで第二回)

紺野久子
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