遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

あそぶ

大阪市営渡船を乗り継ぐ(上)

~奥の細道的スケッチとして~

昭和10年には31か所あった大阪市営の渡船。ご多聞にもれず、モータリゼーションの波に洗われ、昭和53年にはわずか12か所までに激減した。このままの勢いだと、遠の昔に絶滅してもおかしくはないはずだが、ところがどっこい平成23年8月現在で、8か所の渡しが今に残っていて、大阪市建設局管轄の「市道」としての役割を果している。「市道」だから料金はもちろん無料、乗員は大阪市のスタッフである。

大阪市営 渡船場マップ

大阪市営 渡船場マップ

8か所×2、計16か所の渡し場は大正区を中心に、此花区、西成区、港区、住之江区に及ぶ。いずれも臨海地帯。もとより周囲の景観すべて含めて、郷愁を感じさせる、矢切の渡し(東京都・千葉県)や小紅の渡し(岐阜県)と比べれば、殺風景なのは否めない。

しかし、工場地帯や港湾同士を結びながら、豊かな詩情にあふれているのもまた事実なのだ。航路の頭上にすでに橋がかかっているところも数か所ある。でも、船は健在だ。このあたりに詩情の秘密が隠されているのではなかろうか?

8月15日。時、あたかも終戦忌。炎天のなかを駆け足で乗り継いで見た前半4か所の小さなちいさな旅行記をお届けする。

9:55 大阪市バス 夕凪バス停発

渡船を巡るのに決められた順序はない。今回は港区の夕凪バス停をスタート地点に選び、甚兵衛渡しから「旅」を始めることにした。理由はない。

夕凪はごく普通の大阪の下町。銀行の支店があって、パチンコ屋があって、小さな商店街とファーストフードのFC店舗がちらほら。それなりに活気があり、地名から連想される静的な街では決してないが、「人」の気配が感じられるのは、メインストリートだけ。一歩入れば、人を、歩くことを、きっぱり拒絶する、臨海部港湾独特の荒くれた世界に突入する。建物もその他の構造物もやたらにデカイ。ガリバー旅行記の巨人国に迷い込んだ感じ。徒歩の人は虫けら同然だ。

あるかなきかの片蔭を丹念に辿れば、天空に大きな水門のアーチ。尻無川水門だ。コイツもまた、馬鹿デカイ。
その少し下手に、甚兵衛渡船場はある。ここだけは等身大のサイズ。
(でも小ぶりのトーチカみたいで、ここからホンマに乗れるんやろか?)

築港へ一尺の片蔭を縫ひ    無麓

渡船の待合室には丁寧な時刻表が掲げられている。朝夕を除き、毎時15分後との運航。土日用と平日用に分かれて表示されているのが、何やら好もしい。乗客は私だけかと思ったら、奥さんが身重の若夫婦がやってきた。旦那の自転車1台と共に。(あとからだんだんわかってくるのだが、どこの渡しも「自転車の、自転車による、自転車のための」交通機関なのだ。)

10:15 甚兵衛渡船発

ここで、大阪市建設局発行のパンフレットよりスペックを。

甚兵衛渡船場
●大正区泉尾7丁目~港区福崎間
●岸壁間の距離94m
●1日の平均利用者数1,580人(平成13年度現在)

運航は「すずかぜ」。乗員2名、旅客定員46名とある。
船は出航するとバックで運航。向きをかえたかと思うと、もう、下船の準備をしないといけない。船でわたるというより、クルマでいえば、「ちょっと縦列駐車してみました!」ってな感じ。約1分のマイクロ船旅。でも、風が快い。

船を下りて徒歩十分。泉尾4丁目バス停着。

10:27 泉尾4丁目バス停発
10:32 新千歳バス停着

新千歳バス停で降り、二つ目の渡し場、千歳の渡しを目指す。大正区は言ってみれば、ひとつの大きな島で、大阪市の区の中でも、なにやら独立性の高い所。(区の北端をJR大正駅がわずかに掠めているだけで、専らバス便が頼りというのも珍しい。区内の幹線バス便にはほとんど待たずに乗れる。)
周囲は河港や工場地帯だが、普通の住宅地も非常に多い。

新千歳からは、写真のような標識も整備され、迷うことなく、渡船場へ向かえる。

千歳渡船場は、内港に張り出した岬の突端にある。ここまで来ると河は海のように広い。風もめっぽう心地よい。
この渡しのゆくたては少し風変わりだ。もともと千歳橋という橋がかかっていたところ、大正内港の工事のため橋が撤去された。そこへ代行機関として設けられたのが、この渡しなのだ。
しかし、現在では、ブルーのアーチとトラスが美しい二代目の千歳橋が頭上に君臨している。渡しはこの真下を運航する。

現在は、両者は共存している。というか、効率に乗れるものは橋を、乗れない者は船を使う。渡船場から見上げる真新しい橋は、手の届かない高みに君臨している。(実際に海面から、28mの高さ。これでは歩行者が利用するには大変とのことで渡船は存続されたが今後どうなるかはわからない。)

ことに失せたりゆくものへ晩夏光  無麓

一方、渡船場は、釣り宿のような風情。葦簀が張られ、強風で飛ばないように、しっかり張り綱で固定されているのもおもしろい。

11:00 千歳渡船場発

千歳渡船場
●大正区鶴町3丁目~大正区北恩加島2丁目間
●岸壁間の距離371m
●1日の平均利用者数770人(平成13年度現在)
(大阪市建設局発行のパンフレットより)

運航は「ちづる」。乗員2名、旅客定員62名。甚兵衛渡船より大型だ。一緒乗り込んだメンバーは、乗客9名、自転車7台。

海とも河とも判然としない水面を走る。航路が比較的長いので、結構旅情を味わえる、4分間の船旅である。船内に鯔が飛び込んでくることもあるらしい。

11:04 千歳渡船場鶴町側着
11:13 鶴町4丁目バス停 市バス乗車
11:33 三軒家バス停着(バス乗換え)
11:39 三軒家バス停発
11:45 大正区役所前バス停着
(徒歩)
11:55 落合上渡船場着

鶴町4丁目から、二代目千歳橋を通るバスに乗車。確かに水面は遠い。上空から睥睨する気分は悪くはないがほんの一瞬。水脈のきらめきや、缶集めのおっちゃんの笑顔や、浮き桟橋の頼りなさも味わえない。ましてや冷房のよく聞いているバスの車内には、潮風も届かない。

三軒家で降り、鶴町4丁目行きの幹線バスに乗換え、大正区役所下車。文字通り大正区の中心で、賑わっている。ここから昭和山のある千島公園の外縁を縫うこと十分あまりで、三つ目の渡し、落合上渡船場に到着。

12:00 落合上渡船場発

落合上渡船場
●大正区千島1丁目~西成区北津守4丁目間
●岸壁間の距離100m
●1日の平均利用者数470人(平成13年度現在)
(大阪市建設局発行のパンフレットより)

運航は「福崎丸」。乗員2名、旅客定員46名。甚兵衛渡船と同じ。一緒乗り込んだメンバーは、乗客5名、自転車4台。

12:01 落合上渡船場(西成側)発
徒歩二十分
12:21 落合上渡船場着

西成側の荒涼とした風景の中をひたすら南下。
このあたりは、重厚長大時代の墓場のようなところだ。歩く人はほとんどなく、時折思い出したようにトラックが走る。
荒れ果てた公園、今も稼働しているかどうかわからない浄水場、錆び果てて最早遺跡めく船渠の骨格。

お盆なのに機械の音が聞こえる、小さな工場からラジオの高校野球の声。ラジオ、正午、そうだ、今日は終戦忌なのだと「戦争を知らない子供たち」なのに、なぜか感慨にふける。

でも、いきなり戦後になって戦後がずっと続いたのではく、成長神話の時代が終焉を迎え、第2の戦後が今なんだと、骨格だけを晒している船渠を遠望して改めてそう思う。

終戦忌錆びし船渠の骸なす    無麓

結局、落合下渡船場を見逃し、炎天下を引き返し、やっと落合下渡船場にたどり着いた。

落合下渡船場
●大正区鶴町3丁目~大正区北恩加島2丁目間
●岸壁間の距離138m
●1日の平均利用者数400人(平成13年度現在)
(大阪市建設局発行のパンフレットより)

運航は「みどり丸」。乗員2名、旅客定員46名。甚兵衛渡船と同じ。一緒乗り込んだメンバーは、乗客4名、自転車2台。

ずいぶん前に訪れたときは、木製の待合だったように記憶しているが、樹脂製の真新しいものになっている。

12:30 落合下渡船場(西成側)発
12:34 落合下渡船場(大正側)着
(徒歩十分)
12:44 大正中央中学校前バス停着

まだ真昼間なので、時間的には残り4つの「踏破」も可能だが、これ以上残暑に耐え切れないので、残りは後日にする。

詩情とは、無理やりに作ったり、残したりするものではなく、地上の目線の生活の延長線上にあるものだと、ふと思ったりした。

今回かかった費用(JR大阪駅 起点・終点)

大阪⇔弁天町          JR       160円
市岡⇔夕凪           大阪市バス  200円
泉尾4丁目⇔新千歳     大阪市バス   200円
鶴町4丁目⇔三軒家     大阪市バス   200円
三軒家⇔大正区役所前   大阪市バス   200円
大正中央中学⇔大阪駅   大阪市バス   200円
計1,160円

(ここまで第1回)

中田無麓
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