2012年02月14日
乱能とは
乱能、「らんのう」と読みます。能で「乱」というと「猩々乱」(こちらは「みだれ」と読みます)などの「乱拍子」を指すことが多いのですが、乱能というのは、能の演目ではなく、特別な能会を指すことばです。
どう特殊かというと、一般の方にひとことでわかりやすく云うのはむつかしいのですが、日頃の役割と違った形で能を演ずる会、ということになります。
能はご存知のかたも多いと思いますが舞台での役割が明確に決まっています。
「シテ方」の役者さんは「シテ」のみを演じ、「ワキ方」は「ワキ」のみを演じます。囃子方も大鼓、小鼓、笛、太鼓とそれぞれ流派があり、大鼓を打つ囃子方が笛をふくことは決してありません。狂言の役者さんも又然りです。
一般の演劇や映画のように一人の役者さんが主役=シテをやったり、脇役=ワキをやったりということは能においてはありません。(能での役割について以下の「文化デジタルライブラリー能楽」にわかりやすく解説されていますのでご覧ください)
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/kouzou/rols/kind01.html
「乱能」とういうのはそうした役割を「シャッフル」して演じるものです。ですので、普通の能会のように演目を楽しむ、演者の至芸を味わう、と言ったものではありません(もちろん、至芸もあるのですが)。
いつもは鼓を打っている囃子方の先生が「巴」の女武者になって薙刀をもって大暴れ、ということになります。ただ役割(パート)は厳格にわかれていますが、能そのものはシテ、ワキ、囃子、狂言が一体となった総合芸術なので、その役を演じなくても、別のパートの方がいつ何をすべきかを理解しておく(+覚える)必要があります。これが「乱能」を可能にする一つのポイントなのです。「やったことはないが、何をやるべきか」を皆さんご存知なのです。
そのような能会なのでめったに出会いません。三十年以上前に能を習っていたころ師匠から「一角くん、『乱能』というのがある。機会があれば是非、見てみなさい」といわれて以来、そのチャンスがありませんでした。
ようやく、昨年も押し詰まった十二月二十五日(クリスマス!)、京都観世会館で行われた林同門会主催「十三代目 林喜右衛門古稀祝賀 乱能」を見ることが出来ました。
めったにない乱能、チケットを取るのは難しいだろうと、三ヶ月前の発売初日の朝一番に観世会館の事務所に。すでにお二人ほど並んでおられましたが、無事入手。友人の分と二枚(一人二枚限りだったと思います)
しめて二万円。
普通の能会は「観能券」とか「入場券」と書かれているチケットですが、いただいたチケットには「門鑑」と記されています。
私が師匠にお聞きしたとき「門鑑」は木の札だったとおっしゃっていました。かつては師匠方々のごく内輪の会だったのでしょう。木の札だったらよかったのに…。
番組(能会の演目表)もいただいて早速、演目、演者に注目です。楽しみはここから始まっています。「おお、笛の曽和先生、『翁』のシテか…大変だなあ」とか「狂言の茂山一門の『三笑』、これは見もの」とか。当日がますます楽しみになりました。
自由席なので開場前に行っていい席を取ろうとかなり早めに行ったのですが、もう、開場されていて、かなりの席が埋まっています。
正正面にはもう良い席がありません。しかたなく脇正面の見やすい席に。それでなくとも狭い観世会館ですが通路にもパイプ椅子の補助席が。補助席はめったに出ないのですが、それでもという人気の表れでしょう。でも、パイプ椅子に七時間以上座るのは辛い。早く行って比較的良い席がとれたのは幸いでした。
友人も現れ、演目について話しているうちに、開始時刻に。はじめは式能(正式の能会)のしきたりに従って『翁』から。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/play/program/okina.html
「能にして、能にあらず」といわれる特別な存在の能です。神を演ずるところから、演者は精進潔斎して舞台に臨むといいます。
この日のシテは囃子方、笛の曽和正博師。揚幕が上がり、みんながじっと見つめる中、スタスタと橋掛かりを進んで舞台の中央へ。ここでどっと笑いが起こります。普通の『翁』のシテは役の位が重いのでとりわけゆっくりと進みます。その間に舞台空間が段々鎮まって、神の舞にふさわしい場が作られてゆくからです。そこを普通にスタスタと歩いて来るところが乱能です。すこしテンポが速すぎますが「翁ノ舞」はなかなかのもの。
三番三は普通は狂言の方が演じるところをシテの正博師の息子さんの尚靖師が勤めます。この難曲をこなすにはかなりの練習を積まれたことでしょう。躍動的に足拍子を踏みしめる「揉ノ段」。鈴を振りつつ、緩から急へ舞い納める「鈴ノ段」、この辺りに来るとさすがに足拍子が心もとなくなってきます。見かねて、後見(こうけん)の茂山七五三師(茂山逸平、宗彦の父君)がひざを床に当てて足拍子のタイミングを教えます。多分、尚靖師は七五三師の特訓を受けたのでしょう、その様子がおかしくてまた、館内は笑いに包まれます。もちろん、普段、後見がひざで拍子を教えることはありません。(以下に三番三の動画がありますのでご覧ください)
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc12/enmoku/sanbasou.html
太鼓はこの日の主役、林喜右衛門師。立派な裃、袴姿に、いかにもパーティグッズという「本日の主役」という金色のたすきをかけています。当日はクリスマスということもあり、この後もいろいろパーティグッズ(コスプレ衣装も含)が使われていました。
脇能は「高砂」。シテは前川光長師、京都の金春流小鼓の重鎮です。ワキは笛の杉 市和師。地謡に茂山千五郎、千三郎のご兄弟も入った豪華布陣。
続いて舞囃子「小袖曽我」は五郎、十郎を茂山一門の松本師、網谷氏がトナカイの被り物、赤く点滅する鼻をつけて登場。見所の笑いを誘います。
狂言は林喜右衛門、宗一親子による「寝音曲」。照れくさいといいながらも、親子のギャグを織り込みつつの熱演。
能「烏帽子折」では牛若丸を笛の杉信太朗師が切り組の立回りで奮闘。しかし、見所から切り組に「スピードが遅い!」「もっと早く」と大きな叱声が…。多分父君の市和師でしょう。この「烏帽子折」はシテ方の子方が一人前になる卒業の能という位置づけであり、「子方の将来への「望み」や「未来」を先輩たちがある意味祝福している様にも感じさせる曲」といわれています。このような場で、役割を超えて若い後輩を激励する意味もあるのですね。
いよいよ大詰めに近づいて舞囃子「三笑」。この「三笑」は俗界を離れた慧遠禅師のもとへ陶淵明(詩人)と陸修静(道士)が訪れるという、まさに水墨画のような能。その三人を茂山千五郎、千三郎、七五三の三師が舞うというのだから狂言ファンならずとも見逃せません。実際、枯淡の境地を行く、豆腐狂言を能に置き換えた風情でありました。
切能(会の最後に演じられる能)は紅白の獅子が石橋の傍らに咲く牡丹に戯れるという、めでたい会の最後にふさわしい「石橋」大獅子。しかも、赤獅子は三頭という豪華版でめでたく乱能はおひらきに。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/play/program/gobandate/goban08.html
朝の十時半から午後五時半まで、本当に盛りだくさん。出演者のべ、約百八十人、皆さま本当にお疲れさまでした。みなさまにも、もし、乱能を見るチャンスにめぐり合わせたなら、ぜひ、ご覧になることをお勧めいたします。