遊民悠民(ゆうみんゆうみん)

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ありとあらゆる情報が溢れるいま、役に立つ情報が見つけにくい。
20代から60代までの「遊民悠民」メンバーが、「遊ぶ」「暮らす」「食べる」をテーマに
さまざまなモノを比較し、レポートしていきます。

あそぶ

琵琶湖疏水(2) -小関越から疏水第三トンネルまで-

琵琶湖疏水(1) -大津三保ヶ崎から小関越まで-から続く

少し下ってゆくと「小関越の道分岐点」の案内板があり、道が二手に分かれる。右は車道で西大津バイパスへ。左の狭い道が琵琶湖疎水に出る道である。
この辺りが長等山。道を進むと左手に疎水第一トンネル掘削用の第一竪坑跡が現れる。古いレンガが歴史をしのばせる。
現在はレンガが崩れるなどのため金網で囲われ、立ち入りできないが将来的には整備をした上で公園化の計画もあると聞く。

第一立坑跡

いつもは立ち入れないが、今日は「疏水ウォーク」ということで間近に見ることができた

第一立坑跡アップ

ここに使われているレンガも御陵にあった専用のレンガ工場で作られた

第一疏水の第一トンネルは先の三井寺下と藤尾の両側から掘り進められた。
同時に、藤尾から約740m(第一トンネルの全長の3分の1)の地点に第一立坑を掘り下げて、
その底から三井寺下、藤尾の東西両側の出入り口に向けて掘り進めることで切羽の数を増やし、
工期短縮と完成後の通風を図っている。

疏水断面図

疏水の断面図(京都市上下水道局)「琵琶湖疏水」パンフレットより)※クッリクで拡大します

立坑とは地表から垂直に掘り下げられた坑道で、工事の促進、換気、採光のために作られた。
この第一立坑は、深さは約50m。地上から5.5mまでの坑道上部は直径5.5mの円形、それ以下の部分は3.2m×2.7mの楕円形になっている。

さらに下ると普門寺前の車道にでる。案内板もある。ウォーキングルートからは少し外れるが、寂光寺の手前に第1トンネル西口の採光、換気のための第二竪坑跡が残されている。

第二立坑跡

第一トンネルの通風、採光用に掘られた第二立坑跡(京都市上下水道局HPより)

車道を少し歩くと右手にコンビニがあり、そこを右に曲がると疏水の擁壁が見える。再び、琵琶湖疎水に合流。第一トンネルの西出口である。

第一トンネル西出口

西洞門。疏水のトンネルの両側には意匠を凝らした石造りの洞門がついている

出口の扁額には山縣有朋の「廓其有容(かくとしてそれかたちあり)」(悠久の水をたたえ,悠然とした疏水のひろがりは,大きな人間の器量をあらわしている)の文字。
始め南側の車道を歩くことになるが、少し行くと車道と別れ、遊歩道が疏水に沿って続く。

疏水時の遊歩道

両側に桜やもみじが植えられ、春や秋は格好のハイキングコースになる

疏水にはトンネルのさまざまな施設、設備がある。この「藤尾緊急遮断ゲート」もそのひとつ。

藤尾緊急遮断ゲート

阪神大震災の経験から設置された、比較的新しい設備(平成11年)である

地震などの災害時、疏水の堤防が決壊したときに水をせき止め、山科盆地に水が侵入するのを防ぐ。

三角橋

橋の土台部分は両側に三角形の石段が設けられているもの(三角橋)が多い。

さらに西に向かうと藤尾橋。疏水に架けられた最初の橋である。疏水に架かる橋はかつての舟運のため、水面から高く架けられている。
橋の下の両側には上りの際、舟を曳くときの道が付けられている。藤尾橋のすぐ下流にあるのはJR線を越える跨線橋と山科東部地区の灌漑用取水口。

跨線橋

JRに掛る跨線橋

跨線橋からの眺め

跨線橋からは湖西線、東海道本線を行き交う列車を眼科に望む。鉄道ファンにはたまらない眺めであろう

山科地区灌漑用取水口

灌漑用取水口からの水路は醍醐地区まで達しており、田植えの時にはいまも分水している

流れはやがて池のような四ノ宮舟溜へ。舟運の荷揚げや人の乗り降り、船頭の休息場所などの目的で作られたのが「船溜り」。四角い形から「重箱ダム」とも呼ばれる。
その先に諸羽トンネル(長さ522m)がある。このトンネルは昭和45年(1970)に湖西線の工事に伴って作られたもの。

諸羽トンネル

諸羽トンネルは入り口から出口の明かりを見ることができる

そのため疏水の流路が少し変更された。旧流路は埋め立てられて遊歩道になっている。この諸羽トンネルのところから第二トンネルの入口まで延長約4Kmは「東山自然緑地公園」としてベンチや東屋などが整備されている(やや、傷みが目立つが)。

遊歩道

この辺りはもう大津市ではなく、京都市山科区に入る

諸羽トンネルの手前あたりから第二トンネルの間の遊歩道から南側が開け、東海道本線、湖西線から山科盆地を望むことができる。
諸羽トンネルの先に掛かるのが安祥寺橋。

安祥寺川

疏水の安祥寺橋(水路閣)から立体交差する、安祥寺川を望む

橋の先には桜、紅葉の名所として名高い門跡寺院「毘沙門堂」がある。その先疏水と安祥寺側が立体交差している。第一疏水との交差は「水路閣」(レンガ造りの水道橋)、第二疏水との交差は4段堰を利用している。

疏水の南側

疏水から南側のJR線、山科盆地を望む

安祥寺橋、安祥寺の船溜りを経て、左(南)側の遊歩道を進むと南側が鬱蒼とした森になる。「天智天皇陵」である。そこを抜けると朱塗りの鮮やかな正嫡橋が目に入る。本圀寺への参道である。元々は堀川六条にあった日蓮宗の本山の一つだがだが、昭和四十六年にこの地に移った。

本圀寺への橋

本圀寺への正嫡橋。欄干の擬宝珠も金色

境内は梵鐘、仁王像などが金色に輝き、ちょっと異様な感じがする。

本圀寺仁王門

本圀寺仁王門。考えてみれば、寺院の創建当時はこのように眩いものなのかもしれない

その先にかかるアーチ型の第10号橋。太鼓橋とも呼ばれるこの橋は明治37年建造。国の指定遺跡になっている。
水路は第二トンネルへ。第二トンネルは長さ124m。トンネル入り口の扁額は井上 馨の「仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ)」(仁者は知識を尊び,知者は水の流れをみて心の糧とする)。

第二トンネル入り口

疏水のトンネル洞門の中でも凝った意匠の第二トンネル入り口

第二トンネル出口の扁額は西郷従道の「隨山到水源(やまにしたがいすいげんにいたる)」(山にそって行くと水源にたどりつく)。

第二トンネル出口

第二トンネル出口

トンネルを過ぎると山側に大きな施設が現れる。疏水の水を新山科浄水場に送るための「新山科浄水場取水池」である。

新山科浄水場取水口

この取水口は見えている第一疏水からではなくそのすぐ下通る第二疏水トンネルから取水している

取水池を過ぎてやがて人が一人やっと通れるような古びたコンクリートの橋(第11号橋)がかかっている。
周りを鉄骨で補強されているのでわかりにくいが、これが明治36年に建造された、我が国最初の鉄筋コンクリート橋である。

鉄筋コンクリート橋

あまりに慎ましい「日本最古の鉄筋コンクリート橋」である

田辺朔郎がトロッコのレールでメラン式鉄筋コンクリート橋を作ったのは明治36年。
橋のたもとには小橋に似合わない立派な石碑が立っている。

記念碑

「本邦最初鐵筋混凝土橋」という文字が刻まれている

さらにもう一本「日本最初の鉄筋コンクリート橋」。疏水の周りにはやたらと石碑が多い。これも長い歴史と、その役割の大きさ故か。この橋の先が第三トンネルの入り口になる。長さは850m。東側の入り口の扁額は松方正義の「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」(時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる)。

第三トンネル入り口

いよいよ京都へ、の意気込みが感じられる、威風堂々の洞門である

ここから先、また疏水を離れていったん三条通りに出ることになる。

琵琶湖疏水(3) -蹴上から夷川ダムまで-に続く

村井一角
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