2013年01月01日
琵琶湖疏水(2) -小関越から疏水第三トンネルまで-から続く
第三トンネルの入口で遊歩道は終わり、住宅街を通って日ノ岡の三条通りにでる。道の東側を歩くと「旧舗石 車石」と書かれた石碑がある。よく見ると並行した二本の轍がある。
かつて、東海道の難所だった日ノ岡から蹴上にかけての峠に轍をつけた石(車石)を敷き荷車が通りやすいようにしていた名残である。ただ、全く説明や表示もないので普通は気づくことはないだろう。道を挟んだ西側には当時の荷車を復元したものが保存されている。
そのまま少し登ると、九条山の麓に二つの慰霊碑が少し離れて立つ。一つには「萬霊供養塔」、もう一つには「南無阿弥陀仏」。かつて九条山西麓に粟田口刑場があり、明智光秀もここで斬られた。
道路の東側にも祠のようなものがあり、「一万五千人の刑死者の霊を…」という卒塔婆が倒れかかっている。
峠を超えて、東山ドライブウェイの出口交差点のところを北の坂を上がってゆくと元「九条山浄水場」。
ここはかつて大日山貯水池(御所へ水を供給するための高度貯水池)だったところ。戦後、進駐軍の指示で大日山貯水池を「九条山浄水場」として改造したものだが、昭和62年に浄水場としての操業を停止。
関西日仏交流会館ヴィラ九条山のところを左折すると道が上下二手にわかれる。そこに卍と鳥居が記された道案内がある。
そこを下ってゆくと「日向大神宮」の参道にでる。右に参道を上がると神宮である(日向大神宮は「東山三十六峰に登る-粟田山」に詳しく書いているので参照をされたい。
今回はそのまま左に参道を下る。第一疏水の第三トンネル出口と第二疏水合流出口があり、第三トンネル出口には三条実美の「美哉山河(うるわしきかなさんが)」(なんと美しい山河であろう)の扁額が、掲げられている。
その扁額の上部には「SAKURO TANABE DR.ENG.ENGINEER-IN-CHIEF WORK COMMENCED AUGUST 1885 COMPLETED APRIL 1890」りてじんこうをたすく)」(自然の水を利用して,人間の仕事に役立てる)の扁額が掲げられている。
合流トンネル西口洞門の扁額は田辺朔郎自身の「藉水利資人工(すいりをかりてじんこうをたすく)」(自然の水を利用して,人間の仕事に役立てる)である。
流れ出た水は蹴上船溜りへ。船溜りの出口に架かる「大神宮橋」からは船溜り、蹴上浄水場の取水口の向こうに明治45年に片山東熊設計で建てられたネオ・ルネッサンス風レンガ作りの「九条山ポンプ室」が見える。ポンプ室の立派な玄関は疏水に向かっている。これは大正天皇が舟で疏水に行幸された時のためのものだという
かつてはここから、先ほどの大日山貯水池にポンプで疏水の水を組み上げ、「御所水道」とよばれる水路を通じて御所に送水していた。御所で火災が起きた時、大日山と御所の高低差を利用して紫宸殿の屋根の高さまで高圧放水するためだったという。そのほか飲料水や庭園の泉水にも利用された。
この御所水道は文化財を保護する取り組みの早い例として知られる。その後、東本願寺にも防火用水として、本願寺水道が引かれた。今では御所の用水はポンプによる地下水利用となり、御所水道はすでに発泡モルタルで閉塞されている。東本願寺水道も通じてはいるが利用されていない(防火用水は一般の水道を利用)。
ポンプ室の手前には蹴上浄水場への取水口がある。三条通りを挟んで粟田山麓にある蹴上浄水場は、日本最初の急速ろ過式の浄水場として明治45年3月に竣工。100年を経て今も1日に約10万m3の給水施設を持っている。高所配水池はいまも現役施設として使われている。
大神宮橋の手前すぐ下には疏水分線への取り込み口とその可動堰がある。橋を渡り、そのまま進むと三条通。橋のたもとを右に行くとかつてのインクライン(傾斜鉄道)跡の上部にでる。このインクラインは琵琶湖から下ってきた舟を蹴上船溜りから高低差約36mの南禅寺船溜りまで582mの線路で人や貨物を舟に載せたまま運ぶ施設である。
ここには稼働していた当時の十石舟を載せた状態の台車、水中にあって台車を上げ下げしていた巻揚げリングが保存されている。
この辺りは「蹴上疏水公園」と呼ばれ、疏水関連の施設や記念碑、展示物が多くある。主なものは、琵琶湖疏水を設計した「田邉朔郎」像と紀功碑。疏水建設で殉職した人々の慰霊碑、山之内浄水場への導水管実物見本…余り整備されたとは言いがたい形で点在している。
ここから右手(山側)に行くと蹴上発電所への巨大な導水管をまたいで水路閣の上に出ることができる。
途中に水路閣方面への流量を調節する越流堰を見ることができる。
今回はそちらに行かず、左手インクライン跡のスロープを下ることに。
インクライン跡にはいまも舟を運ぶ台車用のレールがそのまま残っている。蹴上の船溜りから南禅寺船溜りまでの途中に、先ほどの台車と舟と同じものがレールの上に保存されている。
「ねじりまんぽ」とよばれるトンネルの上を超えて、南禅寺の交差点の橋の下をくぐる。
そこから先、インクラインはそのまま南禅寺船溜りに潜ってゆく。橋の先からは遊歩道を経て、琵琶湖疏水記念館に直接行くことができる。
琵琶湖疏水に興味を持たれたならこの琵琶湖疏水記念館に行かれることをおすすめする。「琵琶湖疏水とは」というより、「どのようにして琵琶湖疏水が作られたのか」に重点が置かれた展示内容である。
※「琵琶湖疏水記念館」については別原稿を後日アップの予定。
少し戻ってインクラインの西側を進む。南禅寺船溜りには立派な噴水があり、高く水を吹き上げている。
船溜りから鴨川の東堤防までが「鴨東運河」である。船溜りからまっすぐ西に向かい、京都会館の裏手で北に、二条通を越えて再び西に転じ、そのまま夷川ダムを経て鴨川に至る。
琵琶湖疏水(4) -鴨東運河から鴨川放水路まで-へ続く