2012年04月26日
『市中の山居」
今回登るのは第十二峰「吉田山」。三十六峰中、この吉田山と第十三峰「紫雲山」のみが、東山連峰から分離した孤立峰である。
左京区吉田神楽岡町にあり、標高百二十五m(頂上部)。吉田山三等三角点は標高百〇五.一ニm。屏風のように立ち並ぶ東山連峰のすぐ前に、市街地の中に島のように浮かぶ二つの小高い丘である。東には大文字山の「大」の文字が正面に望め、西は眼下に京都大学のキャンパスが広がる。
吉田山の多くの部分は西麓にある「吉田神社」の境内。緑豊かな自然環境が保たれ、京都市から緑地保全地区して指定されている。
町中から、ひとたび吉田山に入れば、鬱蒼とした常緑樹林が茂り、深い森の中にいるような気持ちになる。まさに茶の湯でいう「市中の山居」の趣である。私が登った折も、ちょっと湿った森の空気、風の音、木々のざわめき、そして鳥の声…、京都の町中にいるということを忘れるひとときであった。
この南北八百m、東西三百m、そして最高点は標高百二十五mの山に登るのにはいくつかのルートがある。一番、早く、頂上部(三角点は頂上部にはない)達するには、北側の今出川通から北遊歩道の北側の階段を一気に山頂休憩広場に向かうコース。
低いとはとは言え、かなり急な登山道を上がることになる。足元は湿った落ち葉で歩きにくい。高齢の方にはお勧めしにくい。私も息が上がって、一気に登りきれなかった。それでも十分くらいで頂上部に着く。
同じ北側でも吉田神社の鳥居をくぐって登る、北遊歩道は遊歩道として整備されていて歩きやすい。ハイヒールは論外だが、普通の靴で十分登ることができる。近所の方がよく散歩されている。ゆっくり歩いて十五分くらいだろうか。途中、西側から京都大学のキャンパスが見える。
山頂休憩広場には座って休めるあずまやがあり、そこから真正面に大文字を望むことができる。送り火を見る絶好のポイントの一つだろう。
そのあずまやの下前に、なぜか大理石でできた方位を示す、オブジェのようなものが置かれている。よく、意味がわからない。私が行った時には外国人(白人)と日本人が一緒に瞑想している最中だった。パワースポットとして人気があるのかもしれない。
神々がいます神楽の丘
そのパワーの源が山の名前の由来にもなっている「吉田神社」。吉田山の多くの部分が吉田神社の境内にあたり、山中、そこかしこに摂社の祠がある。
吉田神社は古よりの霊域であった「神楽岡(かぐらおか)」(吉田山とよばれる以前は神楽岡とよばれていた」)に八五九年(貞観元年)藤原山蔭が平安京の守護神として春日の四神を勧請したのが起こりと言われている。
室町時代の中頃には吉田兼倶が吉田神道を唱え、「斎場所大元宮」を造営。吉田流神道の総家として明治まで大きな勢力を誇った。境内の本殿は慶安年間(一六四八-五ニ)再建の春日造。斎場所大元宮は重文。
多くの摂社の中には料理の神を祀る「山蔭神社」、お菓子の神を祀る「菓祖神社」などがあり、参拝する人が絶えない。
吉田神社の祭礼としては、節分の当日を中心に前後三日間にわたる節分祭では疫神祭、追儺式、火炉祭などが執行され、全国より数十万人の参拝者でにぎわう。その期間、表参道の東一条には八百もの露店が立ち並び、そのさまは圧巻である。
※詳しくは「吉田神社の追儺式」を参照ください。
この吉田神社の表参道から境内を通り、大元宮を経て遊歩道南入口から北に向かうコースもある。結構、坂は厳しいが、社殿や摂社を眺めながら歩くといつの間にか、南側頂上部の公園に着く。道も広く歩きやすい。
私が最も好きなのは、東側の脇参道の鳥居をくぐって石段を登るコースである。途中から登山道のような地道になって、アップダウンもあり、歩きにくいが一番、「森を楽しむ」ことができるコースだ。五、六月の新緑の頃、「青嵐」を感じる木々のざわめきの中を歩くのは気持ちが良い。
公園にはベンチも置かれており、カップルがのんびりと過ごしているのを見かけることもある。その公園の脇に国土地理院の三等三角点があり、吉田山もりっぱな「山」であることがわかる。三角点の標高百三mとはいえ「高きが故に尊からず」、低くとも素晴らしい自然と、豊かな歴史遺産を持つ、魅力的な山である。
以下、「紅もゆる、吉田山 (そのニ)へ続く。